天啓パラドクス(テンパラ)公式小説

「天啓パラドクス」ノベライズ

──3章9話──

  • ベアトリスが新たに登場した少女に駆け寄った。
    「ナディラ!どうしてここにいるの?もうジャハラに出発したんだと思ってたのに……!」
    ナディラと呼ばれた少女は、緊迫した状況にそぐわない、おっとりした口調で応える。
    「そのつもりだったのよ~。けど、急にアニマが増えてきて様子がおかしいし、なんだか心配になって戻ってきたの」
    「あなたは……?」
    怪訝そうなソフィアの声に、ベアトリスが振り向いた。
    「あっ、紹介するね。この子はナディラ。さっきちょっと話したけど、ジャハラから来てた私の友達で……」
    あっ、と声を上げたのはマカロンだ。
    「ドライフルーツのひと?」
    食べ物が絡むと頭の回転まで早くなるようだ。まぁ、ベアトリスと合流できたのはそのおかげだし、文句を言う筋合いではないが。
    「あ、そうそう。おみやげにもってきてくれて」
    「ごちそうさまでした」
    マカロンは礼儀正しく頭を下げる。
    うん、ちゃんとお礼が言えて偉いね。でもお前、落ちてたドライフルーツを拾い食いしただけだからね?それで「ごちそうさま」っていう挨拶はどうなのかな?
    もちろん、ナディラはそんな事情を知っているはずもない。
    「いいえ~、おくちにあったのならなによりよ。でも……残念だけど、ゆっくりお話している時間はなさそうねぇ」
    ナディラが視線を転じた先、倒木の間からゼノアニマが半身を現したところだった。
    その様子を見てメリッサは呻く。
    「あれだけの木の下敷きになっても、まるでダメージを受けていないのか」
    「いまにも出てこようとしてるわ!」
    ソフィアが再び臨戦態勢を取った。
    ナディラは頷いて皆を促す。
    「上に積み重なった木をはねのけるのに、数分とかからないでしょうね。いまのうちに、みんな逃げましょう」
    「で、でも、私たちは逃げるわけにはいかないの。ここで逃げたら、リーニャ・タウンはめちゃくちゃになっちゃう」
    ソフィアは反論するが、ナディラは冷静だった。
    「そんな、無茶よ。さっきのわたしの作戦だって、不意打ちだから通用したのよ。次も同じ手が使えるとは思えないわ」
    言われるまでもない。
    普通に考えれば、あんな化け物と戦おうなんて選択肢を採るほうがおかしい。
    ソフィアのように……そして俺のように、そうしなければならない理由がないなら、ひとまず退いて善後策を練るべきだ。
    だが、と俺はライサに目を向ける。
    彼女はなぜか最初からゼノアニマとの対決に積極的だった。
    ライサ、と呼びかけると彼女はビクッと身をすくませる。
    「……っ、な、なに」
    「ライサは、最初からゼノアニマを知っていた。その怖さも、脅威も」
    ライサは頷いた。
    「遭ったことが、あるから」
    「だから誰よりもゼノアニマのことを警戒していた。メリッサのことを叱りつけるくらいには」
    「……そうだったな。侮るなと叱咤された」
    思い出したのか、メリッサがちらりと苦笑する。
    「リーニャ・タウンの出身というわけでもなさそうだ。感情的にも、ソフィアのように刺し違えてでも止める、という理由がない」
    「確かに。特に縁のない土地ですな」
    ハンペンの補足にわずか、ライサの声が尖った。
    「何が言いたいの……?」
    「それでもライサは、ここまで一緒に来た。それはつまり……戦う覚悟ができていたからじゃないのか」
    「それは……っ」
    「覚悟するほどの、戦わなければいけない理由があったから……。違うか?」
    ライサは唇を噛んで目を背けた。
    マカロンがそっとライサに寄り添う。
    「ライサ……つらいかおしてる。かなしいことがあったの?マカロンは、ライサのために、なにかできることある……?」
    ライサは小さく首を振り、マカロンの頭を撫でた。
    その表情は、辛うじて微笑と呼べる範囲に留まっている。
    「ううん、ありがとう、マカロン。私なら、大丈夫」
    そして決然と顔を上げた。
    「私は戦うしかない。選択肢なんて無いことは、最初からわかってた。選べる道はひとつだけ。ゼノアニマと、戦う」
    俺は頷く。
    恐らくライサは過去、ゼノアニマと遭遇した際に、相当な悲劇を経験している。
    それがどんなものかは想像するしかない。だが、彼女はその悲劇への復讐を誓っているのだろう。
    ならば、ライサは同志だ。
    俺はナディラに目を向けた。
    「俺たちには……戦わなくちゃならない理由があるんだ」
    「同じく!ていうか、そもそも私の生まれ故郷を守るって話なんだもん。戦うに決まってるし」
    フッとメリッサが髪をかき上げる。
    彼女にはゼノアニマとの戦いを義務とする理由はないはずだったが、俺たちに同調してくれた。
    「私も同じ思いだよ。背を向けて逃げるなんて、美しくない」
    「マカロンも、いっしょにがんばる!」
    「あっしだって、逃げませんぜ!」
    非戦闘員たちの決意表明を受けて、ナディラは困惑を隠さない。
    「この状況で、戦うほうを選ぶなんて……本気なの……?」
    「ナディラ、だったよね。いま会ったばかりでこんなこと頼むなんて自分でもどうかしてると思うけど……。俺たちはここでゼノアニマと戦う。ナディラも一緒に戦ってくれないか」
    俺は彼女のことをほとんどなにも知らない。
    辛うじて「ナディラ」という名前と、ベアトリスの友達であるということ、そして一時的とはいえゼノアニマの動きを封じるほどの戦闘力の持ち主であるということだけを知っている。
    そしてその最後の一つを、このぎりぎりの状況で、到底見過ごすことはできない。彼女が力を貸してくれるなら、絶大な戦力増強につながるのだ。
    「……本気なのね」
    その琥珀色の瞳に、静かな決意が宿った。
    「そうね……。トリスがそれで構わないなら、協力してもいいわ」
    ナディラの視線はベアトリスに向けられる。
    ベアトリスは、まだいくらかの躊躇いを残しつつ、ゆっくりと頷いた。
    「私、正直まだ怖いの。もしかしたら、足手まといになっちゃうかも。けど、この人たちは私を助けてくれた。だから協力したい。巻き込んじゃってごめん、ナディラ……」
    ナディラは「いいのよ」と穏やかに首を振る。
    そしてゼノアニマに目を向けた。
    既にその姿は八割方、木の下を抜け出している。
    「逃げたところで、逃げ切れるかどうかは五分五分だったのよ。戦う意欲がある人がいるなら、いっしょに戦ったほうが得策かもしれないわ」
    「じゃあ……」
    「ええ。みんなでいっしょに、ここでゼノアニマを倒しましょう~?」
    まるで遊びに行く計画を立てているような、緊張感のない決意表明だった。
    けれどその意味は、途方も無く大きい。
    ベアトリスもキッと眦を決してゼノアニマを見据える。
    「ナディラがいてくれるなら、私だって……!もう、怖がって、動けなくなったりなんか、しないもんっ!」
    ソフィアがグッと拳を握りしめた。
    「うんうん、人数も増えたし、これはいける!ゼノアニマ、倒せるよ!」
    俺は思わず苦笑する。
    そんな簡単なものではないだろう。三人が五人になった。比率で言えば戦力は七割近く増強された計算だが、絶対数を言えばまだたった五人なのだ。到底、楽観視できる状況ではない。
    その思いが伝わったわけでもないだろうが、ライサがソフィアの言葉を繰り返す。
    「……ゼノアニマを、倒す……?」
    現実感を伴わない口調。
    無理もない。彼女がゼノアニマに関して心に負った傷は、恐らく相当に深い。
    しかし、悠長にその傷が癒えるのを待ってはいられない。
    彼女が戦えるか否か、それは俺たちの挑戦の成否を左右しかねないほどに大きい。
    俺は声を励ましてライサに訴えかけた。
    「敵を警戒する、それは大切なことだ。見くびって返り討ちに遭うなんて絶対に避けなきゃいけない。でも、それと同じくらい、自分に自信を持つことも大事だと思う。勝てると信じなければ、勝てないよ」
    ライサの目に微かな光が灯る。
    「私は、ゼノアニマに勝てるの……?」
    「勝てるかどうかじゃない。勝つんだ。なに、私が味方するんだ。難しいことじゃないさ」
    「ナディラやベアトリスを動かしたのは、ライサの戦うって気持ち。私はそう思うよ」
    メリッサとソフィアの言葉を受けて、ライサはゆっくりと、だが確かな力をこめて頷いた。
    「戦う、気持ち……うん」
    これで全部だ。
    今、俺にできることは全部やった。
    あとはゼノアニマに勝てると信じて戦うだけ。
    そう言いかけた瞬間、ふとナディラに目が吸い寄せられる。
    ……まだだ。まだ全部じゃなかった。可能性はものすごく低いはずだけど……。
    「ナディラ、ちょっといいか?」
    「えっ……!?」
    俺はナディラに歩み寄り、彼女を抱きしめた。
    「ふわぁーっ?」
    「あ、あなた、いきなり何やってるのよ!」
    「ひゅー♪ダンナ、大胆すぎますぜ!」
    マカロンはともかく、ソフィアとハンペンは俺の「力」のことを知ってるはずだろ。特にハンペン、冷やかすようなこと言いやがって。この件が片付いたら、覚えてろよ。
    とはいえ、出会って間もない女性を相手の了承も得ずに抱きしめるなんて、ここがリーニャ・タウンだったら衛兵を呼ばれても申し開きのできない狼藉だ。ゼノアニマとの戦いに協力を約束してくれた相手の機嫌を損ねでもしたら、取り返しのつかないことになる。ベアトリスは俺の能力のことを知っているから、弁明と友人の説得に力を貸してもらおう……などと考えていると、耳元でナディラが含み笑いを漏らした。
    「いきなり抱きしめるなんて、ずいぶん情熱的なのね」
    良かった。かなり開放的な人柄のようだ。平手打ちの一つや二つは覚悟しなければと思っていたが、これなら説明もしやすいかもしれない。
    「でも残念だけど相手は他に……」
    ナディラはそこで言葉を切る。
    俺も思わず目を見張った。
    ナディラと触れ合う部分から、体温以上の熱を持ったなにかが行き交う波動を感じる。
    「なにかしら、身体の奥から……?」
    「……やってみるもんだな」
    ナディラも「受け取れる」人間だったようだ。
    相当に分の悪い賭けだったはずだが……俺はその賭けに勝った。
    今度こそ全部だ。
    俺にできることは、全部やった。
    「えー、ずるーい!マカロンもぎゅーしてほしいー!」
    「会ったばかりの人にいきなりそんな……信じらんないっ!」
    ソフィアのやつ、さては頭に血が上って俺の「力」のこと忘れてるな……。
    まぁ、ゼノアニマを片づけたら、ゆっくり思い出してもらえばいい。
    ゆっくり、ナディラの身体に回した腕を離す。
    ナディラは呆然と俺を見つめた。
    「……あなた、もしかして」
    「どうだ。力を実感できる?」
    ナディラは我に返って頷く。
    「ええ。これなら、戦えそうね」
    転じた視線の先では、ついにゼノアニマが自由を取り戻したところだった。
    ライサが両手に短刀を構える。
    その表情に、もはや躊躇はない。恐れもない。
    あるのはただ、闘志と決意。
    「あとは……私たちが、もらった力を使うだけ……!」
  • //9話END
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