天啓パラドクス(テンパラ)公式小説

「天啓パラドクス」ノベライズ

──3章3話──

  • 俺たちが力の供与を終えたところで、マカロンは既に食事を終えたらしく近づいてきた。
    「なに、どうしたのー?」
    純真無垢な瞳で見上げられ、いささか決まりの悪さを覚える。
    決して責められるようなことをしていたわけではないが、まぁ、少しばかり刺激的な行為ではあるし、マカロンに話して聞かせるのは憚られる。
    「あ、いやっ、なんでもない!ちょっと、その……話をしてただけだ」
    「ここで?」
    「えーと……」
    俺は言い訳を求めて周囲に視線を巡らせた。
    下生えに手頃なネタを見つけて指さす。
    「そう、これ!この青い花はリーニャの森にしか咲かない珍しい種類なんだよって、ライサに教えてたんだ」
    「ふーん。そっか」
    疑う様子もなく頷くマカロンに、微かな良心の疼きを覚えた。
    悪意あってのことではないが、本当のことを言わずごまかしたのは事実だ。
    「ねえ、マカロンごちそうさまだよ。もういく?」
    「あ、ああ、そうだな。準備しよう」
    俺が荷物を確かめているとハンペンが肩をつつく。
    「お、今度こそダンナのアレを使ったんですかい?」
    「ハンペンっ、しーっ」
    振り向きざまにハンペンを睨む俺に、ライサが首を傾げた。
    「……どうして隠すの。別にやましいことではないのに」
    「そ、そうだけど……」
    抱き合ったと言ったって、淫らな意図ではないし、本人の許可も得ている。と言うか、本人はもっと過激な振る舞いを想定していたほどだ。
    それでも、なんとなくマカロンには知らせたくない。
    「でもほら、マカロンは俺とソフィアが恋人だと思ってるようなんだ」
    「それは誤解じゃないの?」
    「そうだけど、マカロンからしたら、浮気現場だと思うかもしれないし!となると俺への信頼感も崩れかねないだろ」
    「ふうん……?あまり納得できない理由だけど」
    うん、まぁ、自分でも苦しい言い訳だとは思う。実際、絶対に伏せなければいけない事柄というわけでもないし。あくまで俺の気分の問題だ。
    「それよりもさっきのことだけど。あなたは『これでも充分』と言った」
    「あ、ああ、そうだよ。抱きしめるだけで、力が流れ込んできたと、ライサも実感しただろ?」
    「うん。でも、他にも手段がある。より最適な方法が」
    「えっ、そ、そんなこと……」
    それこそ、マカロンに聞かせられる話ではない。
    俺は懸命にごまかそうとしたが、ライサは追及の手を緩めない。
    「言った。『これでも充分』とは、そういう言葉」
    言葉に詰まる俺を、ライサはじっと見つめる。
    「最適な方法とはなにか、予想はできてる。だから、いまはできない、という事情もわかった」
    俺は思わずツバを呑みこんだ。
    一体なにを言い出すつもりかと、精神的に身構える。
    ライサはわずかに視線を逸らした。ほんのり頬を上気させ、もじもじしながら告げる。
    「でも……いつか、試させて。最適な方法を」
    俺は思わずポカンと口を開けた。
    なにそれ。そんなこと言っちゃっていいの?この娘、俺のこと好きなの?女の子のほうから迫られるなんて、そんな素敵なことあっていいの?もしかして俺、もうすぐ死ぬの?
    ……いや、今の状況でそれはシャレにならないぞ。なんとしても生き延びて、ソフィアと合流し、リーニャ・タウンを救わなきゃいけないのに。
    目まぐるしく脳みそを回転させる俺を、ライサは横目でちらりとうかがう。
    返事を求めているようだ。
    なにか、言わなければ。
    「ま、まいったな……。どんな方法か予想できた上で、そんなこと言われるとは……」
    俺は露骨に逃げを打った。
    「とにかく、マカロンも待ってるし、先に行こう。俺の能力の話は、また落ち着いた頃においおい、ってことで」
    不格好にも程がある「棚上げ」以外の何物でもない答えだったが、ライサは不満を表さなかった。
    「うん。それでいい」
  • 俺たちは再び大ケヤキに向かって歩き出した。
    休憩と食事を取ったことで、マカロンもだいぶ元気を取り戻したようだ。
    「ふう……ねえ、みちは、まちがってないよね」
    ライサが振り向いて頷く。
    「ときどき木の上に登って、確認してる。大欅の方向からずれてはいない」
    「そうですか……。いやぁ、ほんとに、とおいんですな」
    ハンペンもさすがにうんざりした様子だ。
    ライサは素っ気ない口調で付け加えた。
    「安心して。あと一時間程度だと思う」
    あまりにもさりげない調子だったから、つい聞き流しそうになる。
    けれど、疲れて回転の鈍くなった脳がどうにかその意味を受け取って、希望が湧いてきた。
    あと一時間。ここまでの長い道のりを思えば、たったそれだけ。ようやく目的地が近づいてきたのだ。
    「よかったな、もうすぐだぞ」
    「ほんと?ソフィアに、あえるかな」
    「うん、きっと」
    「当然ですぜ」
    口々に励ます同行者たちに、マカロンはその小さな拳を固めてみせる。
    「そうだよね!よーし、あとちょっと、がんばる!」
    「おいおい、張り切りすぎるとバテるぞ」
    無駄に大きなモーションで歩き出すマカロンに小さく笑って、ライサに視線を転じた。
    「何か言いたそう」
    「ちょっと意外だったな。ソフィアにきっと会えるなんて、そんなふうに励ますとは思ってなかった」
    正直な感想だったが、ライサの苦笑を招く。
    「……私って、やっぱりそういう印象なんだ」
    「あ、いや、気を悪くしたら謝る。まだ俺はライサのこと、何も知らないんだなって、実感しただけなんだ」
    「……ううん、よく言われるから。気にしないで」
    他愛のないやりとりにマカロンの警告が割って入った。
    「ライサ!」
    マカロンは駆け戻ってくると、前方を指さす。
    「また、アニマがでた!」
    「わかった。まかせて」
    ポンとマカロンの頭を叩き、ライサは進み出た。
  • 残りわずか一時間の道中とはいえ、決して簡単なものではなかった。
    少数ではあるものの、何度もアニマと遭遇する。
    しかし……。
    「そこっ!!」
    鋭い気合いと共にライサの短刀が閃いた。
    アニマはこちらに近寄ることもできずに消えていく。
    マカロンが手を叩いた。
    「すごーい!」
    ライサは自分の手を見下ろして陶然と呟く。
    「やっぱり……身体が軽い。自分じゃないみたい」
    「ライサ、気を抜くな、後ろ!」
    俺の警告は、しかし、余計なお世話でしかなかった。
    「わかってる」
    振り向くことすらなく繰り出された短刀が、正確にアニマの中央を貫く。
    アニマの消滅を確かめさえせず、ライサは自分の目の前で手を握ったり開いたりした。
    「攻撃力だけじゃない。動きのキレや、危険を察知する能力も……」
    俺に転じられた視線は、抑えきれない喜びに輝いている。
    「どうやら効果が出てるようだな。俺も役に立てたみたいでよかったよ」
    「すごいね。ライサが、ほんきだした」
    にっこり笑顔のマカロン。
    ライサはほんのわずか、苦笑を閃かせた。
    「そう見えるよね。ずっと本気だったんだけど……」
    「あっというまだったもんね!ライサ、かっこいい」
    「ライサさんも、ダンナも、本領発揮ですな」
    ハンペンが二度、三度と頷く。
    なんでお前が得意そうな顔してるんだよ、と俺は心のなかでツッコミを入れた。
    ライサは軽く短刀を振って、ほんのわずか表情を曇らせる。
    「どうした、浮かない顔して。手応えはあるんだろ。それとも何か体調が良くなかったりするのか?」
    「あなたの能力で、体調が悪くなることがあるの?」
    当然の懸念だ。
    俺は真剣な顔で首を振る。
    「いままでにはないよ。けど、そんなに何人にも使ったわけじゃないし、自分でも全部はわかってない能力だからな」
    「私なら、大丈夫」
    ライサは頷いてみせ、表情を引き締めた。
    「ただ……これでもまだ、ゼノアニマに通用するかは、わからない」
    「ゼノアニマ……。マカロンが見たかもしれない、アニマの親玉だな」
    「そう。普通のアニマとはまるで違うから」
    「ライサはゼノアニマと、戦ったことがあるのか?」
    ライサは木々の合間からのぞく空を見上げた。
    その眼差しは、どこか遠くを彷徨う。
    「……戦ったことは……」
    いつもの淡々とした口調とも違う、どこか現実感の希薄な声。
    ライサがなにを見ているのか。
    視線の先にはなにもないことを承知で、彼女の視線を追った。
    ライサは第二の災禍に際して、ゼノアニマと遭遇したことがあると言った。
    そのときなにがあったかは聞いていないから、想像するしかない。だが、あのときのただならぬ様子を思えば、彼女が遭遇したのは悲劇……それも決して小さからぬ悲劇だったのだろう。
    十年前と言えば、恐らくはライサもまだ戦う力を持たぬ非力な少女だったはずだ。突如訪れた災禍に抗う術もなく、ただ翻弄されることしかできない──
    ライサは静かにかぶりを振る。
    「……ううん。戦ったことは、ない。戦わなかったの」
    「……見たことはあるって言ってたよな」
    「うん。すぐ近くで、恐ろしさを味わった」
    彼女の心に刻みつけられた恐怖は、相当に深刻なものなのだろう。
    だが、今の彼女はもう、その頃の非力な少女ではない。磨き上げられた剣技と卓抜した身体能力を持ち、常に冷静な判断を下す精神力を備えた優秀な戦士だ。
    それは彼女自身、わかっているだろう。
    それでもなお、ゼノアニマの脅威を絶大なものと判断し、繰り返し警戒を促している。
    「いくら俺の能力で強化したところで、限界があるか。まして今はライサひとりしかいないんだし」
    「ひとり?ううん、ひとりじゃない」
    「……まぁ、ソフィアと合流できれば……」
    ふたりにはなる。
    だが、あくまで個人のレベルだ。
    ライサが語るゼノアニマの脅威に対抗するには、「軍」と呼べる規模の組織の力が必要なのかもしれない。
    だが、ライサが口にしたのは、そういう意味ではないようだった。
    彼女はおもむろに足を止め、振り返る。
    「ずっとついてきてるみたいだけど、そろそろ顔を見せたらどう?」
    「え……?」
    なにを言っているのかわからず、それでもライサの視線を追って背後に目を向けた。
    木立の合間から、緩やかな足取りでひとりの少女が歩み出る。
    「ふん……気配は消していたつもりだったんだがね。なかなかやるじゃないか」
    さすがに今度はその姿を忘れてはいない。
    アニマに襲われ散り散りになる直前、森のなかで戦いを挑んできた三人組。なかでも、ソフィアと見事な立ち回りを演じていた剣士だ。
    「天啓のエンフォーサーがひとり、情熱と美の魔剣士、メリッサ。ここに見参……」
  • //3話END
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