天啓パラドクス(テンパラ)公式小説

「天啓パラドクス」ノベライズ

──1章5話──

  • 一夜明けて。
    特に魔物と遭遇することもなく街道を進んでいると、ふいにマカロンがソフィアの顔を覗き込んだ。
    「なに、どうしたの?」
    「なんかきょう、おかおがつやつやしてる」
    「えっ!?そ、それはその……まあ、いろいろと……ねえ?」
    やめろ。この流れで俺を見るな。
    記憶を失ったマカロンが男女のアレコレを察することができるとは思えないし、落ち着いていればいいものを、ソフィアは目を泳がせながら視線だけで助けを求める。
    「テントじゃなくてベッドで眠ったのは久しぶりだからな」
    「そ、そうそう!ぐっすり眠れたの!」
    などと、他愛もない会話をしているうちに、予定どおり、太陽が昇りきる前には町が遠くに見えた。
    それを指さしてソフィアが明るい声を上げる。
    「あっ、ほら見て!あれがリーニャ・タウンだよ」
    見慣れた町の風景に、思わずほっとする。町から町へと旅する身だが、帰って来たと感じられるのはここくらいだ。
    「ほわぁ……!すごい、なんかおっきな町だね!おっきい樹が生えてる!美味しいもの、いっぱいあるかな?」
    「大きな町」が「おいしいもの、いっぱい」に直結するなんて、この食いしん坊さんめ。ハンペンのセリフじゃないが、今から財布の中身が心配になってきたぞ。
    とはいえ、今更進路を変えるつもりはない。
    「それじゃ、町に入る準備をしなくちゃな」
    「ただ、田舎の街道脇ならまだしも、ミルがこのまま町に入ってきたら大騒ぎですぜ」
    俺達は揃って、後ろからノソノソついてきているミルの巨体を振り返った。
    ひとり、事態を飲みこめていないらしいマカロンが首を傾げる。
    「さわぎって?どういうこと?」
    「んーまあ、私たちに比べてすごく大きいでしょ。驚くポイントは他にも山ほどあるけど……」
    むしろ、サイズの問題はそれほど重要ではない。自分で勝手に移動できる、しかも意思の疎通が図れるというのがミルの特異性だろう。
    学者や魔法使いといった連中に知られたらきっと大騒ぎだ。
    「昨日みたいにバラバラになってれば平気?」
    なんかまたとんでもないことを言い出したな。
    「自由にくっついたり離れたりできるのか?」
    まさかと思いつつ尋ねると、マカロンはあっさり頷いた。
    「うん。そこからうごけなくなっちゃうけど。あと、またばしょがわかんなくなっちゃうかも」
    「なら大丈夫ですぜ。今度はあっしらもいるんだし、お嬢が出発するときにはちゃんとサポートできます」
    「じゃあ、ここでミルにバラバラになってもらえばいい?」
    俺は泡を食って止めに入る。
    「あ、いや、待て!まず俺の荷車を降ろしてからにしてくれ!いまバラけたら、荷車がひっくり返っちゃうから!」
    なにしろ、わざわざ自分で引くまでもなく、ミルに乗せておけば自動で運んでくれるのだ。利用しない手はない。ここまでずっと、荷車はミルに収納したままだった。
    「いやぁ、ミルに運んでもらうの、本当に楽だったなぁ。魔物の心配もしなくていいし」
    今朝、出発してから一度も魔物と遭遇していないのは、恐らくミルのおかげだろう。なにしろこの巨体だ、魔物も警戒して近づかなかったのではないか。
    魔物と聞いて護衛担当が眉をひそめる。
    「ここまで来るのにも結構、魔物が増えてたわね」
    「そうだなー。また旅に出る前に減ってるといいけどな」
    魔物の生態はまだ詳しくわかっていない。
    ただ、活動が活発な時期とおとなしい時期があって、言うまでもなくおとなしい時期のほうが商売はしやすい。
    「ねえねえ、まものってこわいものじゃないの?」
    「正直ピンキリですぜ。なんならあっしも魔物ですし」
    「あんたは特例だと思うけど」
    それはそうだろう。ハンペンみたいなのが多数を占めるようなら、魔物が今ほど恐れられることはないはずだ。
    「よし、みんな荷物を下ろすの手伝ってくれ。こっちからゆっくりな」
    「ごっはん♪ごっはん♪よーいしょっと」
    ……手伝ってくれるのは助かるが、そのかけ声はどうなんだ、マカロン。
    おしゃべりをしながら、荷車をミルから下ろす。
    グッバイ、働かなくても荷車が運ばれる一時。
    「それじゃ、町に入るから……ミルに待っててもらえる?」
    「わかった!じゃあ、ミルー!おつかれさまー!ここでまっててね!」
    ソフィアが促すと、マカロンはミルに向かって大きく両手を振った。
    「かーいさーん!」
    それが合い言葉なのだろう。一瞬、強く光ったかと思うと、次の瞬間にはもう、ミルは森でそうだったように各部材にわかれて、散っていた。未だに信じられない光景だが、目の前で起こった以上は認めるほかない。
    「うーん……もう資材置き場にしか見えませんぜ。ほんの一瞬だったのに」
    魔物だけに俺達よりは超常現象に親しんでいるだろうハンペンでさえ、狐につままれたような表情だ。
    俺は周囲を見回し、ミルが「解散」した場所を目に焼き付ける。
    「町からはそこそこ離れてるし、まあ誰も近づく人もいないだろう。戻ってくるときは、この大木が目印になるはずだ」
    俺は荷車に手をかけ、脚に力をこめて歩き出した。
    マカロンとハンペンが荷台に乗り、ソフィアはその脇、俺の斜め後方に控える。
    「ねえ、なんとかタウンってどんなとこ?」
    「リーニャ・タウンよ。そうね、人は結構いるけど、のんびりした雰囲気で、でもちょっと賑やかで……落ち着く場所、かな」
    「楽しそう!」
    あまり期待させすぎるのもどうかと思い、俺は注釈を加えた。
    「落ち着くっていうのは、ソフィアの場合は町の雰囲気だけじゃないけどな。実家があるんだよ」
    「じっか?」
    「うん、私ね、リーニャ・タウンで生まれ育ったの。旅からこうして戻ってくると、やっぱりホッとするんだよね」
    じっか、と呟くマカロンの声がわずかに沈む。
    「いいな、マカロンもマカロンのじっか行きたい」
    「あ……そうね、そうよね。大丈夫、きっと見つかるわよ」
    慌ててフォローするソフィアの声は、ごまかしきれない焦りに上擦っていた。
    ハンペンが冗談めかして混ぜっ返す。
    「くうっ、泣かせるぜ、マカロンのお嬢……っ。目から汗が……」
    俺は改めて当面の目標に立ち返った。
    「そうだな。マカロンの手がかり、探してやらないとな」
    恐らく、お手上げということにはならないだろう。
    なにしろミルのことがある。あんなものを「友達」に持っている人間がそうそういるとも思えない。関係者はふたりのことを探していると考えていいはずだ。ただ、機密だなんだと厄介ごとを伴っていそうで、揉め事に巻きこまれる予感も濃厚だ。
    「私はちょっと寄らなきゃいけないところもあるから、その間はあなたたちがマカロンのこと見ててよね」
    「わかった。まだ腹を空かせてるみたいだしな。工房に寄って、新商品開発の相談もしようと思ってたんだけど……先にマカロンに、リーニャ名物を食べさせてやるか」
    「ごはん!?やった、食べる!」
    つい先程までの意気消沈は、食欲であっさり上書きされたらしい。
    「そうよ、マカロンをひとりにしないでね。新商品なんか、どうせ売れないんだから」
    「なにぃ!?」
    マカロンを気遣うのはいいとして、俺の新商品開発に賭ける情熱は否定させやしないぞ!
    しかし、今のところ俺の理解者はマカロンただひとりだ。当然のようにハンペンがソフィアに加勢する。
    「姉御、もっと言ってやってください」
    「そんなことないって。今度こそ大ヒット……」
    言い募る俺の全身を、突如、悪寒が襲った。
    同時に、金属をすり合わせるような耳障りで甲高い音が響く。顔をしかめ、禍々しい気配に思わず空を仰ぐと、そこには見覚えのある、漆黒の楕円が宙に浮いていた。
    「――っ!?」
    やはり、鏡のように見える。
    周縁を見慣れない装飾に飾られた、姿見のような鏡。その鏡面は漆黒だがツヤがあり、確かに正面に立てば自分の姿を映し出してくれそうだ。
    ソフィアが目を見開いた。
    「な、なんなのあれ……?」
    「今度は見えるのか!?」
    マカロンを拾った直後に出現した際には、ソフィアには見えなかったらしく「寝ぼけてたんじゃないの」なんて言われたし、俺自身も本当に見たのか自信が持てなくなった。なにしろ、こうして実際に目にしていてさえ、この世の物とは思えない奇怪な現象だ。
    だが、どうやら幻ではなかったらしい。
    俺は勢いこんで鏡を指さした。
    「そう、あれだよ。前にも言っただろ、なんか黒い鏡が浮いてたって」
    「そういえば、何かおかしなこと言ってた気がしたけど、あれのことだったのね」
    「ふぁ、ああ、あぁう……!」
    マカロンは怯えた表情で頭を抱え、いやいやをするように首を振る。
    「お嬢、どうしたんです」
    「マカロン?」
    「は、はじまっちゃう……。またはじまっちゃうよ……」
    「え?始まるって……なに、あの黒いのに関係あるの!?」
    「何が起こってるんですかい……?」
    前回と違って、ソフィアもハンペンも黒い鏡を認識しているようだ。しかし、前回との差は一体、なんだというのか。
    前回も、鏡の位置と大きさからして、視力に左右されるはずはない。自分が方向を示したのに、ふたりがまったく認識できなかったのは不自然だ。少なくとも「何か浮いている」くらいの認識はあったはずだろう。
    なら、なにか理由が……。
    「あれ!あそこ、見て」
    マカロンが黒い鏡を指す。
    鏡のその鏡面部分には、何か映り込んでいる。その光沢から、対面する風景を反射させているのかと思ったが……。
    「な、なんだあれ……鏡映しじゃ、ない……?」
    「あの黒いのに誰か映ってるわ。あれって、どこを映してるの?」
    それは、自分たちの周囲と同じような森林の風景だった。
    誰かが森をうろついている様子が映し出されている。
    「あれは……ソフィア……?」
    「どうしよう、鏡から、きちゃうよ……!」
    マカロンがぶるりと身体を震わせた。
  • //5話END
  • 戻る次へ