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「天啓パラドクス」ノベライズ
──2章3話──
- たまたま目について立ち寄った食堂の片隅で、俺は引きつった笑みを浮かべていた。
「おかわりーっ!!」
「お、おう……よく食うな……。育ち盛りでなによりだ……」
ソフィアがため息をつく。
「ほらね。絶対こうなると思ったのよ」
「はぐはぐはぐ!美味しい!すごく美味しいよ!」
テーブルにずらりと並んだ皿が、次々と空になっていく。
上客に気を良くしているのだろう、店の主人がえびす顔でマカロンの食事風景を見守っていた。
「お嬢ちゃん、いい食いっぷりだねぇ!おじちゃん、作りがいがあるよ!」
見るからに機嫌が良さそうだ。あるいは、これなら。
俺は救いを求め、精いっぱいの愛想笑いを浮かべ、揉み手をしながら主人に囁く。
「あ、あの、ちょっとお値引き、なんていうのは……」
ギロリ。
こちらを振り向いた主人は、器用なことにえびす顔のまま目だけに殺気を漲らせるという芸当をやってのけた。
「気持ちよく食べたら、気持ちよく払ってもらわないとねぇ!」
腕組みをして高笑い。
俺は敗北を悟らざるを得ない。
「ですよねー……」
「マカロンは、こんなに美味しいものを食べたきおくがないよ!」
「そりゃそうですね、記憶喪失なんですから」
身も蓋もない相槌を打つハンペンの顔には「それ見たことか」と書いてある。
今後、ハンペンの忠告には真剣に耳を傾けると、俺は心に誓った。
「でも、味覚を刺激されることによって記憶が蘇るってことはあり得るかもしれないわよ」
「どういうこと?」
赤いソースで口の周りを彩ったマカロンが首を傾げる。
「見覚えのある景色に出会ったら、前に来たことがある!って、記憶が復活したりするって、聞いたことがあるの。景色を見たり、声を聞いたり……それがあるなら、食べ物の味をきっかけに戻ることもあるかもしれないわ」
ソフィアが披露した記憶喪失にまつわる知識は、惨劇を加速させる。
「よくわかんないけど、たぶんそうだとおもう。きおくふっかつのために、もっと食べるね」
俺は思わずソフィアに恨みがましい視線を向けた。
「ソフィア、お前……」
「何よー!本当に可能性はあると思って言ったのよ!」
そりゃあ、その可能性はあるかもしれない。だが、果たしてどれくらいの成功率があるのかわからない、あやふやな代物だ。
それに引き換え、マカロンが平らげる料理の勘定は、百パーセント間違いなく積み上がっていく現実だ。
そんな不確かな希望のために深刻な打撃を被る俺の懐を、誰が温めてくれると言うのだろうか……。
- 「ふーっ、おなかいっぱーい!ごちそうさまー!」
ようやく惨劇の終わりを告げる挨拶が食堂に響いた。
伝票を見るのが怖い。
だが……逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。
俺は恐る恐る伝票に手を伸ばし、そこに書かれた数字をちらりと目にして叫ぶ。
「んんぉおおおおお!?町の酒場でこの額って、見たことないぞ!若手の新兵が揃った一個小隊でも連れてきたのか、俺は……」
多少の責任は感じているのか、ソフィアが融資を申し出た。
「お金足りないなら貸すよ」
商人たる者、借金はなるべく避けなくてはならない。
それに、少女ひとりの飲食代金と考えれば破格の、それこそありえないと言っていい数字だが、商売で動かす金額からすれば、まぁ、手に負えないほどの請求じゃない。
と言うか、ソフィアにどれだけ持ち合わせがあるのか知らないが、剣士が受け取る報酬で、今回の勘定を肩代わりできると思っているのだろうか。
「ま、返済するまではずっと一緒についていくことになるけど」
「いや、足りるから大丈夫」
俺としてはごく当然の返答だったが、ソフィアのリアクションは理不尽を極めた。
「なんで断るのよ!」
「なに怒ってんだよ!?」
それを見てマカロンが上目遣いに俺の顔色をうかがう。
「んぅ……?マカロン、うれしくなっていっぱいたべちゃったけど、ほんとはいけないことだったの……?」
「あ、いや……一宿の恩義もあるからな。マカロンは気にしなくていい。ちょっと予想を超えてきただけのことだから」
「おんぎ?ってどういうこと?」
「ミルに泊めてもらったでしょ。それに荷車だって運んでもらったし、そのお礼も兼ねて、ごはんをごちそうしたってこと」
マカロンの機嫌を損なうのはソフィアとしても不本意なのだろう、横から口を添えた。
「まあ、これで一応は貸し借りなしってことだからな。あとは、今後のこと、どうするか考えないと」
ひょんなことからここまで行動を共にすることになったが、元々は赤の他人だ。身元を確認するにせよ、記憶を取り戻すにせよ、後は然るべき機関なり専門家なりに任せるのが筋だろう。
しかし、ソフィアはこれには異を唱える。
「本気なの?そりゃあ、この町は私の地元だから、コネだのなんだの色々あるわよ。だから私たちがいなくなっても、ちゃんとお腹を空かせずに暮らしていけるとは思う……けど……でも、私はちょっとやだな」
マカロンもサッと顔色を変えた。
「いなく……なる……?えっ、なんで?おわかれってこと!?そんなの、やだよっ!」
「マカロン、落ち着け。店の中だし、静かに……」
「やだ、やだやだやだやだ!マカロン、いっしょがいいっ!ついてくもん、ぜったい、はなさないもんっ!!」
じたばたと手足を振り回して暴れる。こういうところはまるっきり子供だ。
正直、少し持て余す。
さて、なんと言って宥めたものかと考えていると、マカロンはしょんぼりとうなだれた。
「……だって……さびしいもん……。せっかくマカロンってなまえ、もらったのに……よんでくれるひとも、いなくなっちゃう……」
「……やれやれ、まいったな」
慕ってくれるのは嬉しい。
けれど、マカロンにも家族なり保護者なり責任者なりがいるはずだ。行方不明になった娘を心配しているだろうし、彼らの下に帰すのが長い目で見れば互いのためでもある。
道理としては俺のほうが正しいはずだが、今回も味方はいない。
「ほら、マカロンもこう言ってることだし。私も、なんだかちょっと情が湧いたっていうか……ここで手を離すのは忍びないわ」
「あっしも姉御に賛成ですぜ、ダンナ」
俺は軽くため息をついた。
そりゃあ、短い間とはいえ一緒に旅をしたんだ、多少なりとも親しみは覚えているし、然るべき筋に後を託すにしても、見放すようで後味が悪いのも否定しない。
だが、現実問題として、マカロンのためにしてやれることはそのくらいだろう。
「俺は旅の商人で、ソフィアはその護衛だ。これから遠くの町にも行く。ついてくるとなったら、この森のあたりを離れるんだぞ。きっと記憶の手がかりはこの町の近くにあるはずだ。なのに、みすみす離れてしまったら、記憶を取り戻せないかも」
それに、シビアなことを言えば、役に立たない子供を連れ歩く余裕はない。
ソフィアは護衛だ。必要経費だ。ハンペンだって多少は仕事を手伝える。
けれどマカロンはそうじゃない。ましてあの食べっぷりを見た後じゃ、収支が合わないどころの騒ぎじゃない、破産に向かってまっしぐらだ。
「きおくなんて、いらない……。いっしょが、いいもん……」
それは一時的な感傷だ。マカロンだって記憶を取り戻せば、俺たちよりも、きっといるのだろう親や兄弟や友達を選ぶに決まっている。
「あとっ、とおくのまちにマカロンのきおくがあるかもしれないし!」
懸命に考えてひねり出したのだろう可能性にも、俺は首を振った。
「俺はマカロンのこと嫌いで言ってるんじゃないんだよ。何が本当にマカロンのためになるかを考えたんだ」
「マカロン、なにも聞かれてないよ」
「え?」
「どうするのがいいか、マカロンとおはなししないと」
「それは……」
一人前の人間が言うことだ。
他者を頼らなければ生きていけない、まして記憶を失っている身で主張するのは傲慢以外の何物でもない。
だが、そう指摘するのはいささか酷い。
俺が躊躇った隙にソフィアとハンペンが援護射撃に回る。
「何が自分のためになるかは、自分で決める……ってことね。いいじゃない、私もマカロンに賛成」
「ダンナは商人なんですから損得で考えたらどうです?ミルがいれば在庫も一気に拡大できる。商売のチャンスだと思いますぜ」
俺は思わずうなった。
確かにそれは大きなメリットだ。
ミルの図体なら一度に運べる商品の量は荷車の数倍、いや十倍以上になるだろう。
おまけに俺の負担が劇的に軽減される。今まで汗水たらしてひーこら言いながら荷車を引いていた移動の時間を、新商品の考案や新たな事業計画の策定に充てることができる。その上、夜は快適な環境で休めるわけだし、魔獣や盗賊の襲撃に対する牽制も期待できそうだ。
マカロンの食費を考慮に入れても、少なからぬ利益をもたらすだろう。
ソフィアは俺の気持ちが揺れたのを察したに違いない。すかさず二の矢を放ってくる。
利益の提示に続くのは、リスクの指摘。
「商人にとって一番重要なのは信用でしょ。護衛を務めてた幼馴染みの女の子に愛想を尽かされた行商人が、周りからどう見られると思う?特にこのリーニャ・タウンで」
それはマカロンを連れていかないなら、自分は同行しないと示唆しているに等しい。そして、ここリーニャ・タウンはソフィアの地元。同時に俺にとっても重要な商売の拠点の一つ。そこで評判を落とし、十分な便宜を図ってもらえなくなればどうなるか。
「きょ、脅迫かよ……」
「忠告よ」
にっこり笑った後、ソフィアは不意に表情を改めた。
「あと、女の勘」
「勘?」
「あなたとこの娘は一緒にいなきゃいけない気がする。あなたがどうとか、この娘がどうとかじゃなくて、もっと大きな……運命、みたいなもののために。根拠は示せないし、自分でもなに言ってるのかよくわかんないけど、とにかくそんな風に思うの」
「……やれやれ」
俺はもう一度、ため息をつく。
「わかったよ、降参だ。……しばらく一緒に行くか」
「ほんとっ!?」
マカロンは目を輝かせた。
……この先、どうなるかはわからない。
けれど今この瞬間に限れば、その笑顔だけで自分の選択の正しさを確信する。
「ああ。手がかりは引き続き探しながら、ってことで……」
そんな風に話がまとまりかけた瞬間。
「うぁぁああああぁーっ!!」
そう遠くない場所で、誰かの絶叫が上がった。
ソフィアは反射的に剣を掴んで立ち上がる。
「――っ!?何の騒ぎ!?」
その声をかき消すように破砕音が響いた。
「店の窓が……っ!?」
窓を破って店内に飛び込んできたのは、例の見慣れない魔物――「アニマ」の群れだった。
「こいつら……!『アニマ』だわ!どうしてこんなにたくさん……!?」
ソフィアは剣を抜き放ち、俺たちを背中にかばって「アニマ」と対峙する。
「みんな私から離れないで!」
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