天啓パラドクス(テンパラ)公式小説

「天啓パラドクス」ノベライズ

──1章3話──

  • 魔物を退け街道に戻ってからほどなく、荷台のハンペンが声を上げる。
    「ダンナ、姉御、拾ったお嬢が目ぇ覚ましましたよ!」
    俺は足を止めて振り返った。
    一足先に荷台に歩み寄ったソフィアが行き倒れていた少女の顔をのぞきこむ。
    「よかったわ。このまま起きないかと思った」
    「あ、あう……?」
    少女は戸惑いがちに周囲を見回した。
    「あんた、怪我はないかい?つーか名前は」
    ハンペンの問いかけに、俺とソフィアも耳を澄ます。
    一拍置いて返ってきた応えは……
    「わかんない」
    「わかんない!?」
    面食らったのはハンペン、慌てたのはソフィアだ。
    「ごめんね、緊急事態だったからちょっと手荒にしちゃったけど、もしかして頭とか打ったりしてない?」
    「あたま?んと、けがはしてない」
    「ほんと?さっきいきなり倒れたから心配したのよ」
    ソフィアはわずかに表情を緩めた。
    確かに丁重とはお世辞にも言えない回収の仕方だったが、少女が昏倒したのはそれが理由ではないだろう。先ほど俺が見た……そしてソフィアとハンペンは見なかったらしい、宙に浮かぶ漆黒の楕円。あれが原因だろうと、直感が告げる。
    だから俺は、その直前に少女が口走った不穏な言葉のほうを気にした。
    「さっきの世界がどうこうっていうのはなんだったんだ?」
    しかし、この問いにも要領を得ない答えが返ってくる。
    「さっきってなに?はじめましてだよね」
    俺達は顔を見合わせた。温度差はあれど、それぞれの表情に困惑がにじむ。
    「な、なあ、ダンナ。
    ハンペンが口にしかけた懸念を遮るように少女が呻いた。
    「あう……おなかすいた……」
    その言葉にソフィアとハンペンが飛びついたのは、一種の現実逃避かもしれない。
    少女が直面している困難が俺達の想像通りなら、事態はややこしくなる。
    「お腹?もしかして森で倒れてたのは、お腹がすいてたから?」
    「とりあえず水でも飲め。ほれ、自分で飲めるか?」
    ハンペンが差し出した皮袋に口をつけ、少女はノドを鳴らした。
    その様子を横目に、ハンペンがやや声を抑えて切り出す。
    「なぁ、ダンナ。この子……名前はわかんねえ、さっきのこともなかったことになってる……妙だと思いませんか」
    「まさか……記憶が飛んでる……?」
    サッとソフィアが青ざめた。
    「やっぱり頭を打ってたのかな!?私のせい!?」
    「落ち着いて。まだそうと決まったわけじゃないし、原因がソフィアだとも限らない」
    狼狽える連れを宥めて、俺は努めて穏やかに少女に問いかける。
    「名前はわかんないとして、何をしてるとこだったとか、出身地とか、何か覚えてることはないのか?」
    「わかんない。きがついたら、ここだったの」
    キョトンとした様子の少女に、ソフィアは頭を抱えた。
    「あああー!記憶喪失で間違いないよ!私、どう責任を取れば……!」
    少女を気遣う優しさは称賛されるべきだし、自分の行動を省みる謙虚さも立派だと思うが、わめき散らされても事態の解決には寄与しない。
    ハンペンが容赦のないツッコミを入れる。
    「だから姉御は黙っててくれませんかね!?」
    ソフィアの悩みはひとまず置いておいて、俺は問いかけを重ねた。
    「さっき目を覚ましたときのことも覚えてないんだよな?」
    少女は頷き、ハッとしたように目を見開く。
    「あっ、でも……ともだちがいたとおもう。いっしょに、そう、だいじなとき、まもってくれたともだち……」
    「ひとりじゃなかったのか……?」
    思わず顔をしかめる。
    それが事実なら、聞かなかったことにするには重大過ぎる内容だ。
    ハンペンがため息をついた。
    「こりゃいっぺん、戻ってみますかい?もしかしたらそばにもうひとり倒れてたのかもしれませんぜ」
    「かもしれないな」
    俺は頷いて少女の目をのぞきこむ。
    「なあ、友達はどんな子か、見ればわかるか?探しに行ってみよう」
    「いっしょにさがしてくれるの……?」
    「ああ。友達のほうも心配してるかもしれないからな」
    それに、友達のほうの記憶がしっかりしていれば、この少女のこともいろいろわかるだろう。まさか揃って記憶喪失なんてことはない……と、信じたい。そこまで俺の日頃の行いは悪くないはずだ。
    「でも、戻るって……」
    ソフィアは、つい先ほどみんなで転げ落ちた崖を見上げた。
    確かに引き返すにしてもその道のりは容易ではない。
    しかし、すぐに彼女は首を一つ振った。
    「ううん、そうよね。私が勝手に連れてきちゃったんだもん。責任もって探さなきゃ」
    背負いこみすぎている彼女に、俺は軽口を叩いてみせる。
    「フォレストタイガーなら、到着するころには興奮剤の効果も切れてるはずだから安心して」
    「ダンナの商品説明は信用ならねえですけどね」
    「俺のせいじゃないだろ。そもそもを言えば、あれは興奮剤なんかじゃなかったはずなんだ」
    不良品を掴ませやがって、あの薬問屋め。今度会ったら、慰謝料を含めて思い切りふんだくってやる。
    俺の決意をよそに、少女はポソポソ呟いた。
    「なんか……だんだん、ともだちのこと、おもいだしてきたよ。なまえはわかんないんだけど……」
    「わかんねーんですかい!まあ、自分の名前もわかんないんだし、そんなもんなんですかね」
    反射的にツッコミを入れ、そのツッコミに自分で解釈を加えて勝手に納得するハンペン。
    一方のソフィアは、達成すべき目標を与えられ、ようやく錯乱から立ち直ったようだ。
    「戻るのはいいけど、回り道しなくちゃいけないわね。崖をよじ登るわけにはいかないし……」
    「そうだな」
    俺とソフィアは周辺の地形を確かめ、引き返す進路の検討を始めた。
  • 迂回するため少し時間はかかったが、先ほどフォレストタイガーに追われていた場所に戻る。あの騒ぎが嘘のように静かだ。
    ソフィアが周囲を見回して眉をひそめる。
    「ずいぶんたくさん、廃材みたいなのが落ちてるわね。このあたりに集落でもあったのかしら。で、嵐にやられたとか」
    その言葉通り、周辺には数多くの建材が散乱していた。街道を進んでいる分には気づかなかったが、相当な量だ。集落が存在した記憶はないものの、そう考えたくなるのも無理はない。
    廃材の来歴について考えを巡らせていると、きゅるきゅるきゅる……と間の抜けた音が響いた。
    目を向けると少女がお腹を押さえている。
    「あう……おなか、すいた……」
    「あ、そうだよな。軽く何か食べてからにするか?ちょっと待て、探してみるから」
    俺が荷車を漁ろうとしていると、背後で少女がちょっと間の抜けたうなり声を上げた。
    「う……あう…‥。……んあっ!」
    「あ、ちょっと!?」
    ソフィアが驚くのも当然だ。見知らぬ少女は、背後から俺につかみかかり、肩車のような体勢になる。それだけならまだしも──
    「あぐあぐあぐ!」
    噛んだ。
    思いっきり噛んだ。
    俺の頭に噛みついた。
    「あででででで!?」
    まだそう長い人生ではないが、女の子に頭をかじられるなんて、初めての体験だ。そして多分、死ぬまでにもう一度経験することはないだろうと、確信を持って断言できる。
    「なんでいきなり人の頭をかじるんだよ!?」
    俺の抗議に、少女は肩に乗ったまま喚き散らした。
    「おなかすいたーっ!すいた、すいた、すいたぁぁあああぁぁーっ!!」
    「だからいま、食べ物を探してるんだろーが!ケダモノか、おまえは!」
    「あぐあぐあぐ!」
    また噛まれた。
    「いっで、聞けよ!!」
    しかし、相手はケダモノ。言葉など通じない。
    俺は少女を振り払うと、必死に荷物を漁る。なにしろ食われるかどうかの瀬戸際だ、必死にもなる。
    「あったぞ!」
    助かったという安堵と共に、俺は振り向きざま、手にした菓子を少女に示した。
    「ほら」
    少女は菓子を引ったくると、包装も解かずにかぶりつく。
    「はぐはぐはぐ!」
    「待て!包み紙ごと食べるんじゃない!」
    俺が菓子の包みを剥いてやると、少女は一心不乱に食べ始めた。
    たかが食事一つでこの騒ぎ。
    ドッと疲労を覚えて座りこむと、ソフィアが荷車から菓子の包みをつまみ上げ、いかがわしいものでも見るように目をすがめる。
    「ねえ、確かこれって売れ残った新商品のお菓子じゃない?色がカラフルすぎて不気味だって不評の……」
    事実なので反論しようもない。
    俺としては自信満々でラインナップに加えた新商品だったのだが、彩り重視で菓子職人に作ってもらったのが完全に裏目に出て、ほとんど売れずじまい。日持ちは一週間くらいが限界なので、近いうちに廃棄する予定だった。
    「時代がまだ俺についてきてないんだな……」
    その負け惜しみは完膚なきまでにスルーされ、ハンペンもまた怪しげなものを見る目つきを新商品に向けた。
    「あれ?さっき保存食の箱が十箱もあったじゃないですかい。なんだってこんな甘ったるいもんを大量にあげてんですか」
    「あれは空箱だ。保存食関連は完売した。ほら、俺ってばやり手商人だから」
    今度の負け惜しみは容赦なく論破される。
    「いや、こっちが残ってるほうがまずいでしょ……」
    「にんきないの?こんなにおいしいのに。もっとちょうだい」
    あぁ、名も無き……いや、あるんだろうけど判明してない……少女よ。俺の理解者は世界にお前一人なのか。ならばその理解に応えねばなるまい。
    「よーし、全部やろう」
    俺は手元の菓子の包みを片っ端から開け、開ける端から少女に差し出した。
    少女はものすごい勢いでそれを平らげていく。
    ソフィアが呆れたようにため息をついた。
    「在庫が減って良かったわね。商売的には丸損だけど」
    「いいんだよ、こうやって喜んでくれる人がいるってだけでも。気合入れて企画して作ってもらったのに、まったく売れないときの、あの悲しさは本当にさぁ」
    「ほんと、やり手が聞いてあきれるわ」
    菓子の色で口の周りをまだら模様に染めたまま、少女が首を傾げる。
    「やりて?」
    「そうだ!俺こそリーニャ随一との呼び声高い、天下無双の行商人その人だ!」
    「誰も呼んでないし」
    「仮に事実だとしても誇れる肩書きじゃねーっすよね」
    「やかましい。いいからお前らも自己紹介しろ」
    俺が話を振るとソフィアは肩をすくめ、ハンペンは器用に片目をつぶった。
    「私はこの人の護衛をしてる。まあ、昔からの知り合いだから、仕方なくって感じで」
    「あっしはハンペンっていいやす。いろいろあって昔、ダンナに拾ってもらったんでさぁ」
    「うん、よろしくね!」
    無邪気な笑顔で頷いて、少女はうつむく。
    「えっと、あう……じこしょうかい、できない」
    「記憶喪失なのはわかってるから、無理しないでいいのよ」
    ソフィアはしゃがんで目線を合わせ、少女に微笑みかけた。
    そのカラフルな口周りを見て、ふと閃く。
    「……なあ、こいつさ、マカロンにしないか」
    振り向いたソフィアの目は軽蔑と憤怒の絶妙なブレンドに彩られていた。
    「はあ!?なにバカなこと言ってんのよ。女の子をマカロンにするって、猟奇的すぎるでしょ!」
    「その発想のほうが猟奇的だよ!誰が人体を素材にしたマカロンの製造なんか思いつくんだ!」
    「じゃあ、なによ!」
    「名前だよ、名前!」
    「あ、名前……」
    自分の勘違いに気づいてソフィアは頬を赤らめる。だが次の瞬間、再び怒りを閃かせた。
    「ちょっと!なに適当なこと言い出してるのよ!」
    「いや、名前がないと不便だろ」
    「それはそうかもしれないけど、いま食べてるものの名前って安直にもほどがあるでしょ!」
    「ダンナはいつもこんな感じですからねぇ」
    ハンペンの皮肉には取り合わず、俺はマカロンを頬張っている少女に笑いかけた。
    「どうだ?とりあえず素性がわかるまでの仮の名前、ってことで」
    「マカロン!かわいい!いいなまえ!」
    あぁ、なんていい笑顔。マカロン、お前こそ俺の理解者だ。
    「ほら、気に入ってくれたじゃないか」
    「もうちょっとよく考えたほうがいいわよ……」
    ソフィアはげんなりしているが、ここで譲るつもりはない。
    「こういうことは本人の意向が一番大事だろ」
    「名前はそれでいいとして、マカロンさん。ほかに何か覚えてることはないんですかい。ちょっとしたことでも」
    「おぼえてること?」
    順応の早いハンペン、そして少女改めマカロンも、それが自分の名前だと既に認識している。
    ソフィアも諦めたのか、命名についての抗議は見合わせて話に乗った。
    「友達を見つける手がかりになるかもしれないでしょ」
    「んーと」
    マカロンはしばし視線を彷徨わせ、満面の笑みを浮かべて言い切る。
    「スプーンはひだりてだと、つかいやすい!」
    「左利きなんだな」
    「役には立ちそうにないわね」
    まぁ、確かに情報としての意味は薄いかもしれない。
    「でも、普段の生活でしみついたようなことは覚えてるってことかしら」
    「そうだな。言葉も忘れてないからこそ、こうして会話できるんだし」
    「あとは……」
    再び視線を彷徨わせ、マカロンははたと手を打った。
    「あっ、そうだ。あいことば!」
    「あいことば?」
    ソフィアが聞き返す間もあらばこそ。
    「でーておーいでー!」
    マカロンの声が辺りに響くと同時に、足元の材木が浮き上がる。そう見えたのは、材木に足が生えていたからだった。
    材木だけではない。散らばっていた石や金属片、廃屋だと思っていた建物でさえも……自らの足で立ち上がり、一気にある地点に走っていく。
    破片としか思えなかったそれぞれは、あっという間に組上がっていき、精緻に設計された部品のひとつだったことがわかる。
    やがてそれは最後のひとかけらが、あるべき場所に収まり、目の前には巨大な城のような建物がそびえ立っていた。
    時間にして、一分もなかったのではないか。
    「これ、なに……?」
    呆然と呟くソフィアに、マカロンは晴れやかな笑みを浮かべて言い切った。
    「ともだち」
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