天啓パラドクス(テンパラ)公式小説

「天啓パラドクス」ノベライズ

──1章6話──

  • 「くっそ……!どうなってんのよ!」
    苛立ちを隠そうともせずに、森の中を進む女剣士。時折、その感情を周囲の木々にぶつけ、枝を叩き折っていた。
    「この私が、あんな無様な……っ!ああもう、イライラするっ!」
    髪をかきむしり、彼女は周囲に視線を走らせる。
    「あの子は、どこに行ったの……?私だって、そんなに長い時間倒れていたわけではないはず……」
    誰かを探しているらしい彼女は、感情的ではありながらも、常に周囲に気を配っているようだった。
    そんな彼女だから、背後からの気配にもすぐに気付き、鮮やかに身体を反転させて武器を構える。
    「……誰」
    刃先を向けられたのは、がっちりした体格の中年男だった。無精髭に覆われた面貌はむさ苦しく、いかにも抜け目なさそうな眼光は堅気の人間のものとは思われない。動きやすい服装も、それだけならばなんの不思議もないが、要所を防具で固めているとなると物騒な印象を与える。
    男は日に焼けた顔に愛想笑いを浮かべてみせた。
    「お、おいおい、俺はちょっと声をかけようとしただけで」
    手にした剣同様、切れ味の鋭い舌鋒がその欺瞞を断ち切る。
    「いかにも野盗って見た目で、苦しい言い訳ね。なに、私から何か脅し取ろうってわけ?」
    舌打ちを一つ、盗賊は開き直って得物を取り出した。
    「物分かりがいいようだな!だったら、さっさと置いて……」
    彼女は口上の終わりを待たない。
    剣が鋭く突き出され、盗賊はのけぞってそれを躱す。
    「おわっ!?」
    「手を出す相手を間違えてるって……教えてあげるわ!!」
    「このアマ……下手に出てれば調子に乗りやがって!」
    打ち下ろされた盗賊の武器を、手にした剣で思いきり弾く。単に攻撃を受け止めるだけでない勢いに、男は体勢を崩した。
    胴体ががら空きになるが、女剣士はそれを無視して、男の膝を思いきり正面から蹴りつける。
    野太い悲鳴が上がった。
    「ぐぁあああっ!?」
    膝を蹴り砕かれ、のたうち回る盗賊の頭を彼女の踵が踏みつける。
    「これ以上、私を怒らせないで。いい、聞かれたことにだけ答えなさい」
    剣を突きつけられ、盗賊は抵抗を諦めた。
    「この森で、小柄な女の子を見かけなかった?ピンク色の髪だから目立つと思うんだけど」
    「し、知らねえよ……!」
    見下ろす冷たい視線に怯えながら、盗賊は首を小刻みに動かす。
    「隠すと、自分のためにならないわよ」
    「ほ、本当だって!」
    彼女は舌打ちと共に男を蹴り転がした。
    「役に立たないわね」
    そしてもう興味を失ったように視線を森へ転ずる。
    「本当に、どこに行ってしまったのよ、あの子は……」
  • 鏡に映し出された風景が、急に乱れ始めた。
    「これは、なんなんだ……?」
    戸惑う俺の視界で無数の光景が目まぐるしく切りかわる。
    ほんの一瞬、目に映るだけの細切れの情報。
    「なにが起きて……?」
    その空間で最後に見えた風景、それは──
    「――はっ!」
    我に返ると、心配そうに顔を見合わせるソフィアとハンペン、それにに視線を釘付けにするマカロンの姿があった。
    「消えた……?」
    鏡に映し出されたソフィアの姿は、まるで別人のような苛烈さがあった。
    目の前の彼女を、改めてじっと見つめる。
    違う。
    いや、違わない。これが俺の知っているソフィアで、違うのは先程まで目にしていた冷酷な剣士だ。
    それでも俺の認識として、つい今しがた、容赦ない処刑を執り行っていたソフィアとは違う、いつものソフィアが戻ってきたと、そう思わずにいられない。
    「ちょっと、いまのなんだったの」
    「ソフィアが森で暴れてる……っていうふうに見えたよな」
    「言っとくけど私、あんなことした記憶ないわよ!?いくら野盗相手だからって、あんな戦い方……」
    ソフィアはさも不快そうに顔をしかめる。
    確かに、彼女は決してあんな力の行使を是としないだろう。
    その言葉が途中で途切れたのは、不意に響いた嗚咽のせいだった。
    「……ぁっ、あれっ……」
    目を向けると、マカロンは鏡を見つめたまま、涙を流していた。
    目尻からこぼれたしずくが、頬を伝い落ちていく。
    「お嬢、どうしたんです!?」
    「なんで、だろ……よくわかんないのに、なんか、なけてきちゃった……」
    俺とソフィアは顔を見合わせた。
    鏡に映った光景が、涙を誘うほど感動的だったとは到底思えない。
    だとするとマカロンの涙の理由は、失われた記憶となにか関係があるのだろうか。
    「マカロンは、さっき見たあれに何か心当たりがあるの!?」
    マカロンはふるふると首を振る。
    「わかんない……っ!わかんないよっ、でもっ……」
    ソフィアを見上げ、マカロンはしゃくり上げた。
    「むねが、いっぱいなの……っ!」
    ソフィアは屈みこんでマカロンの頭に手を乗せ、微笑みかけた。
    「大丈夫よ。なんだかわからないけど、でも、さっき見たあれは、鏡に映ってただけで、私たちのいる現実とは別でしょう?」
    マカロンは肯定も否定もせず、ただ涙を流し続ける。
    その頭を撫でながら、ソフィアは誰にともなく呟いた。
    「でも、最後にはなんかいろんなのが見えたわね。あれは、なんだったのかしら」
    知らず、心が波立つ。
    さっきの夢の最後、あれは……
    「気をつけて」
    マカロンがじっと俺を見つめて訴える。
    「あのね、いまからなの。きっといまから、わるいことがおきるんだよ……!」
    「悪いこと?なんですかお嬢、そいつは……」
    「待って」
    ソフィアの鋭い制止が全ての言葉を遮った。
    「周り、これ……魔物に囲まれてる……!」
    「なっ……!?」
    俺は周囲を見回す。
    いつの間に現れたのか、無数の魔物がひたひたと俺達に向かって押し寄せてきていた。
    とてもではないが倒しきれる数ではない。
    ソフィア、と呼びかける声がかすれていた。
    「大丈夫」
    ソフィアは緊張に強張った顔で、それでもしっかりと頷いてみせる。
    「あと少しで町なんだから……!ここは突破するわよ!」
    力強く剣を構え、ソフィアは走り出した。
    「ついてきて!振り返らないで!」
  • どれくらい駆け続けただろうか。
    足を止めたとき、周囲から魔物の姿は消え去っていた。
    ソフィアは後ろを振り向き、額の汗を拭う。
    「なんとか切り抜けたけど……いまの、初めて見る魔物だったわ」
    「あぁ……」
    宙に浮かぶ謎の物体。黒い鏡のように見えるそれは、今回は俺だけでなくソフィアやハンペンも認識していた。その直後、現れた見慣れない魔物。マカロンの「わるいことがおきる」という言葉――それらすべてが繋がっているとしたら。
    (記憶を失っているはずのマカロンがあんなことを言ったのは……きっと記憶の奥底に何か響くものがあったからじゃないのか……?)
    俺自身も、黒い鏡を見た瞬間に何かしらの不吉な感覚をおぼえた。そういった、論理的に説明できない直感も手伝って、鏡と魔物の因果関係を推測する。
    「見て」
    ソフィアは道の先を指さした。
    もうリーニャ・タウンは目と鼻の先だ。
    「ここまで来れば安心よ」
    頷こうとして、ふと、自分の中のなにかがざわつくのを感じる。
    行く手に立ち並ぶリーニャ・タウンの街並み。
    「あの風景……」
    「風景?ダンナ、またなんか見えてんですかい?」
    「そうじゃなくて……」
    言いさして、俺は首を振った。
    「いや、なんでもない。たぶん、なんか勘違いだ」
    「……?変なの」
    ソフィアが訝しげな顔をしているが、言い繕う余裕もない。
    俺はそれを口に出すのを躊躇った。
    ……口に出せば、現実になってしまいそうな気がして。
    鏡が出現し、それに続いて囚われた悪夢の中。そこで俺が見たもの。
    それはリーニャ・タウンの街並み、その中央に黒い鏡が重なっているかのような光景ではなかっただろうか。
    ……いや、あれは夢だ。
    ただの悪夢に過ぎない。
    そのはずだ……。
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