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「天啓パラドクス」ノベライズ
──3章8話──
- 空気がねっとりと重い。
不吉な魔の気配は周辺一帯に充満し、生き物は羽虫一匹も見かけなかった。
見境のない破壊の音は既に指呼の距離に迫っている。
ソフィアの呼びかけは半ば叫び声だった。
「みんな、準備はいい?」
「ああ。私はもう、いつでもいける」
メリッサがすらりと剣を抜き放つ。
「マカロン、ハンペン。俺たちは下がっていよう。足手まといになるからな」
「う、うん……。みんな、がんばって!」
マカロンが小さな身体を精いっぱい伸ばして手を振った。
「ご武運、祈ってますぜ」
ハンペンの声援は皆に届いただろうか。
バキバキと生木が裂ける音。ズシン、と地響きがして巨木が倒れる。
その奥から巨大な黒い影が現れた。
ゼノアニマ。
生物に死を、無生物に破壊をもたらす、世界そのものへの反逆者。
意志があるのかないのか、それすら感じさせない血の色の光が左右を走査する。
取り囲まれている、と把握したのかどうか。
いや、サイズの違いすぎる人間ごときに「取り囲まれている」などと脅威を感じたりはしないだろう。だが、進路を塞ぐ障害物としてなら、知覚したようだ。
「動きを止めた……私たちのことを認識したか」
さしものメリッサにも、美しい自分云々と軽口を叩く余裕はない。
緊張が、張りつめる。
次の瞬間。
「くる!」
ライサの叫びと、ゼノアニマの動きと、どちらが早かったか。
黒い影の一部がソフィアを襲った。
「速いっ!!」
苦鳴を漏らしつつ、ソフィアは辛うじてその一撃を受け止める。
どうやらゼノアニマは腕を振り下ろしたらしい。
だが、素早い攻撃は腕のシルエットだけを残し、斬撃のように繰り出される。
「受け止めるので精一杯……」
ライサの声が戦慄に震えた。
凄まじい速度と破壊力を兼ね備えた攻撃だ。少しでも気を抜けばどうなるかはいまの一撃だけで既に一目瞭然だった。
メリッサがよく通る声で皆を鼓舞する。
「防戦一方になって押し込まれると悪循環だ。手数も出していこう!」
そして気合い一閃、自らその範を示すべくゼノアニマに斬りかかった。
だが、ほんの一瞬前までゼノアニマが存在していたはずの空間を、メリッサの剣は素通りする。
その巨体からは信じられない回避速度だ。
ソフィアが愕然とする。
「うそ、あの至近距離でかわされた!?」
だがメリッサとて歴戦の剣士だ。一度や二度の空振りなど意に介さない。
刺突、斬撃、右から、左から、切り上げ、切り下ろし、薙ぎ払う。
間合いを詰めて一気に放ったメリッサの攻撃だが、今度はそれを、ゼノアニマがひらりひらりとかわす。
メリッサは一度距離を取って、唸った。
「ゼノアニマっていうのは、こんなに素早いものなのか?」
「私も、詳しくはわからない。けど、通常のアニマよりも、すべての能力が高いのは間違いない」
ライサの答えにかぶせるように、ソフィアが即席の連携を指示する。
「私とメリッサでなんとか狙いを絞り込んでみる。ベアトリス!援護をお願い!」
だが、呼びかけられたベアトリスは苦しげに唸って身体を震わせるばかりだ。
明らかに様子がおかしい。
「ベアトリス!?」
ソフィアの呼びかけにも応えられず、ベアトリスは後退った。
「わ、私も……戦わなくちゃ、いけない、のに……っ!」
一体どうしたと言うのか。かなうことならば助けに行きたいが、ソフィアたちですら苦戦する相手の攻撃範囲にのこのこ足を踏み入れれば、無駄に生命を落とすだけだ。
「動かなきゃ、いけないのにっ、うぅっ、体が言うこと、聞いてくれない……!」
「いけねえ、体が恐怖で硬直しちまってる!」
ハンペンの叫びが聞こえたのか、それとも不幸な偶然か。
ゼノアニマが不意にターゲットを変更する。
「ベアトリス、気を付けろ!そっちに行ったよ!」
メリッサの警告にも、ベアトリスは回避行動すら取れない。
「ひっ……」
怯えるベアトリス目がけて、ゼノアニマの腕が振り下ろされようとした刹那。
「ぁあああっ!」
雄叫びを上げながらソフィアが飛びこんだ。
力任せに振るわれた剣がゼノアニマの攻撃を弾く。
「ソフィア!」
ソフィアは肩越しにベアトリスに目を向け、早口でまくし立てた。
「次も庇ってあげられる保証はないわ。もし戦うのが厳しそうなら、マカロンたちと一緒にいてほしい」
「……私、ごめん、ごめんなさい……」
応えるベアトリスの声は半ば涙混じりだ。
「いいの。音楽家のベアトリスが戦うって言ってくれただけでも、私は勇気をもらえたわ」
ソフィアの言葉に呼応してメリッサが剣を構え直す。
「そうだな。あとは私たちに任せておくといい」
気合いのこもったかけ声と共に、メリッサはゼノアニマに迫った。
一撃してフェイントを挟み、追撃。
だがゼノアニマは素早く後退してメリッサの間合いから逃れる。
しかしそれはメリッサの思惑のうちだ。
メリッサがゼノアニマの気を引く間に、ベアトリスは戦場からの離脱を果たす。
「だいじょうぶ?ベアトリス、こっちでマカロンといっしょにいよう」
マカロンがベアトリスの手を握って、微笑みかける。
しかし、ベアトリスは悔しそうに顔を歪めるばかりだ。
「私、戦えると思ったの。なのに、どうして……」
「心の傷……」
反射的にこぼれた俺の呟きにベアトリスは振り向いた。
「え?なんて?」
「ベアトリスは最初にゼノアニマと出会ったときに、かなり恐怖を感じたはずだ。それが傷のように、ベアトリスの心にダメージを与えてるんだよ」
「心にけがしちゃったの?ベアトリスはどうなっちゃうの?」
マカロンが心配そうに眉根を寄せる。
俺はゆっくりと首を振った。
心配しなくていいなんて無責任なことは言えないし、かと言っていたずらに悲観的なことを言ってベアトリスを不安がらせることもない。
「現実の怪我と同じだよ。治るまでは動かせないし、怪我の程度によっては治っても前みたいに動かなくなるかもしれない」
ただ、俺が言いたいことは。
「だから、戦えなくても仕方ないんだ。自分を責めなくていい」
「……!う、うん……ありがとう……!」
マカロンも頷く。
「それくらい、こわいおもい、したんだよね。マカロンもいま、とってもこわいもん」
マカロンは戦場に目を向けた。
そこではソフィアとライサ、メリッサがゼノアニマと激しい戦いを繰り広げている。
「なのにベアトリスはひとりでおそわれて、ひとりでにげたんだもんね。こわいの、あたりまえだよ」
「マカロンも、ありがとう……」
ようやくベアトリスの表情が和らいだ。
しかし、俺にはもう一つの懸念がある。
「ただ、これベアトリスだけの問題じゃないんだよな……」
「え?どういうこと?」
心に刻みつけられた恐怖。その点に関する俺の見立てが正しければ、たぶん……。
それが杞憂であることを願って、俺はソフィアたちの戦いを見守る。
戦場では、幾度目かの斬り合いを経て、メリッサがゼノアニマ攻略の糸口を見出したようだった。
「ほとんどかわされてしまうが、それでもこっちが攻撃している間は、向こうも攻撃まではしてこない……!」
「攻撃は最大の防御ってわけね。でもこれ、私たちのスタミナが切れたらそこで終わりになっちゃうわよ!?」
ソフィアが口にした懸念は当然のものだ。
しかしメリッサは不敵に笑う。
「その前に打開策を見つける……!」
メリッサが剣を構えた。
ゼノアニマは素早く距離を取り、そこから方向を転じる。
標的は──どこか集中を欠く様子のライサだった。
「みんな……みんな、どこ……?もう、あいつ、いなくなった……?」
「ライサ……?なにを言って……」
「みんな、殺された……。大切な人、みんな……。わたしはもう……ひとり……」
ライサは焦点の合っていない目をして、なにかぶつぶつと呟く。
ソフィアが悲鳴にも似た警告を発した。
「ライサ、危ない!狙われてる!」
「ライサ、しっかりしろ!気を抜くと、危ないぞ!」
俺も叫ぶ。
ライサはようやく我に返った。
「――っ!そ、そうだ、戦わないと……!私は、仇を……!」
短刀を握り直す。
だが、ゼノアニマはすぐ目の前に迫っていた。
戦おうという意志は見せるも、ライサの足は完全に止まっていた。フォローに入ろうとソフィアとメリッサが動き出すが――
「くっ、間に合わない!ライサ、伏せるんだっ!!」
メリッサの絶叫。
しかし、ライサは動けない。
ゼノアニマの腕がライサに振り下ろされるのが、まるでスローモーションのようにはっきりと見える。
凶刃は着実にライサに迫り、まさにその首筋に食いこむかに見えた。
その瞬間。
「やあああああああっ!!」
突如吹き込んだ疾風が、刃となって頭上にある木々を切り裂く。
落下した枝がゼノアニマを直撃し、重くのしかかった。
次いで周囲の木々が一斉にゼノアニマに向かって倒れこむ。
ズシン、ズシンと地響きが連続した。
動きを封じられたゼノアニマは、木に埋もれながらもがいていた。
なにが起こったのか。
面食らう俺の耳に初めて聞く声が届く。
「良かった。間に合ったみたいね」
そちらに目を向けると、木々の間から褐色の肌の少女が姿を現したところだった。
ベアトリスが歓喜の声を上げる。
「ナディラ……!!」
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