天啓パラドクス(テンパラ)公式小説

「天啓パラドクス」ノベライズ

──2章5話──

  • 応急手当が済むと、ソフィアは立ち上がり、グッと拳を固めてみせた。
    「わからないことは多いわ。でも、ひとまず私の傷は大したことないから、そこは安心して」
    「自分の感覚だけで決めるなよ。ちゃんと医者に診せたほうがいいだろ」
    とりあえず止血だけはしたが、実際のところどの程度の負傷だったのか、感染症の心配はないのか、専門家でなければわからない。
    今のところソフィアは一刻を争う容態というわけではなさそうに見えるが、やはり一度診察を受けておくべきだろう。
    「そうだけど……だって、ジャハラに行かなくちゃいけないんでしょ」
    確かに、リーニャ・タウンに寄った後は、ジャハラへ向かう予定だった。とはいえ、それはあくまで通常の営業活動の範囲だ。商談の約束があるわけでも、特別な依頼を受けているわけでもない。同行者の健康より優先される事情などではなかった。
    「急ぎの用があるわけでもないし、それに……。ソフィアのこと、置いていけるわけないだろ」
    「そうですぜ、姉御。そもそも護衛抜きじゃジャハラになんてたどり着けませんぜ」
    「待っててくれるの……?」
    妙に心細げな顔をするソフィアに、マカロンが明るく笑う。
    「ソフィアってば、さっきのマカロンみたいー!」
    「そ、そんなに子供っぽくないわよ!」
    顔を赤らめて言い返す様、そしてなによりその内容が子供じゃなくてなんなんだ。
    しかし、そんなことを言えば話がこじれること請け合いなので、俺はノーコメントを貫いた。
    「マカロンだってこどもじゃないもん!」
    だから、大人はそんなこと言わないっての。
    子供のケンカを聞き流している俺に、ライサが尋ねる。
    「あなたたち、ジャハラにいくの?」
    「ああ、一応その予定なんだ。実は行商人をしていてね」
    話の流れで察しているだろうが、いい機会だから身分を明かしておく。
    仮にも相手は生命の恩人だ。今後の話の流れ次第だが、なにかしらのお礼はさせてもらわなきゃいけないし、そのためにもまずはこちらが何者か知っておいてもらう必要がある。王侯貴族としがない行商人では謝礼の額も違うのだ。過度な期待をされても困る。まぁ、俺たち一行を見てやんごとなきご身分の方々だと勘違いする者もいないだろうが。
    ところが、それを聞いたライサは一つ頷き、思いがけないことを言い出した。
    「なら、私も同行させて。今からこれじゃ、この先の道中が不安」
    俺は思わず目を瞬く。
    「……えぇと、ライサもジャハラに向かうつもりだったということでいいのか?」
    「そうよ」
    「それで同行したいって言うんなら別に、構わないけど……」
    俺は意見を求めて連れに視線を向けた。
    「人数が多いに越したことはないってわけね」
    「それはこっちも同じことですし、悪くない申し出じゃないですかね」
    ソフィアとハンペンに異論はないようだ。
    確かにこのところ、魔獣とやり合う機会が多い。先ほどのアニマとの戦闘を思い返しても、ライサの戦闘力は頼りになる。一緒に来てくれるなら心強い。
    素性の知れない相手を同行させることに一抹の不安がないでもないが、生命の恩人に向かってそれを言うのも失礼だろう。
    ライサにしても、いくら腕が立つとはいえ一人旅は危険を伴うし、目的地を同じくする者に知り合えたのは好都合に違いない。
    「さらに大所帯になるのは正直、複雑なところもあるけど……そんなこと言ってる場合じゃないし……」
    「ソフィア?」
    そう聞き返したのは、聞き取れなかったからではなく、意図がわからなかったからだ。
    一体なにが「複雑」なのか。
    しかし、ソフィアは追及されたくないようで、バタバタと手を振って話を打ち切る。
    「な、なんでもない!あなたがいいなら、私は反対しないわ!」
    「にぎやかなの、たのしいよ!」
    最後のひとりの了承を得て、俺は新たに加わる同行者に手を差し出した。
    「決まりだな。それじゃ……ライサ、だったか。これからよろしく」
    「うん、よろしく」
    ライサは俺の手を握り返す。
    短刀とはいえ、二つの武器を同時に操っているとは思えない、ほっそりした手だった。
    「とは言っても、すぐに出発できるわけじゃないけどな。こっちにもいろいろ支度がある」
    「ソフィアも怪我しちゃってるもんね」
    「大したことないってば」
    「いいから医者に行け。話はそれからだ」
    ソフィアの強弁を却下し、俺は改めて今後について考えを巡らせる。
    「今、ジャハラで売れるとしたら……」
    「ねえねえ、ジャハラって?」
    今更ながらマカロンが首を傾げた。
    どうやらその地名に心当たりはないらしい。
    「ジャハラっていうのはこの先にある、砂漠の町だ。そこに商売をしに行くんだよ。だから、まずは仕入れをしないとな」
    「そうなの……?」
    なにやら納得行かない様子だが、理由がわからない。
    「でも……このまま行っちゃうの?ここ、ソフィアのたいせつなところって聞いたよ」
    妙に切羽詰まった口調に、見上げられたソフィアも戸惑う。
    「え……?どういう意味?」
    「まもらなくていいの?アニマが、くるよ」
    俺たちは思わず顔を見合わせた。
    到底聞き流すわけにはいかない重大な発言だ。
    ソフィアは不安を押し隠すように笑みを作ってみせる。
    「マカロン?な、なに言って……アニマはいま、私たちが倒して、町も守ったじゃない」
    だが。
    「マカロンがみたのは、さっきのじゃないの」
    アニマが、くる。
    その言葉が予感させる帰着の一つだが、できれば信じたくはない。
    ソフィアが取り繕えず、表情を曇らせた。
    「……まさか、そんな」
    「また別の予知……?」
    ライサは真剣な表情でマカロンを見つめる。
    マカロンは自分が感じているのだろう不安を伝えようと、懸命に訴えた。
    「さっきのとはちがう、べつのアニマがくるよ。おっきくて、それですごくつよいの」
    「そんな……別のアニマ……?嘘でしょ……!?」
    「うそじゃないよ!ほんとなの、しんじて。ほんとに、みたんだよ。この町だった、まちがいないよ」
    俺は慄然とする。
    先ほどの襲撃でさえ、かなりの被害が出ているはずだ。それなのに、さらに強力なアニマが襲ってくると言う。マカロンの言葉が事実なら、事態はかなり深刻と言わざるを得ない。
    しかも、マカロンの訴えにはまだ続きがあった。
    「あと……とおくに、黒い変なのがあって」
    「黒い……確かにさっきの襲撃では、例の鏡は見かけなかった」
    俺の呟きにライサが首を傾げる。
    「……鏡?なんのこと?」
    俺は口を滑らせたことを自覚する。
    正直、アレについてはよくわかっていない。ライサに知らせていい話なのかどうか、それすら判断がつかなかった。
    「あー、えっと……俺たちだけが見られる、不幸の前兆っていうか」
    「そうよ、なんであの鏡も出てこなかったのに、アニマが襲ってきたのよ」
    「わかんない。けど、マカロンたちが町にきたときの、あの鏡のせいかも」
    「鏡が出た後の効果の範囲はよくわからないからな……。ほんの数時間程度だし、余波みたいなものなのかもしれない」
    いずれにせよ、マカロンが見たというアニマの襲撃が本当になるなら──いや、本当になるだろうという確信にも似た思いがある──引き起こされる惨劇は今回の比ではないだろう。
    顔面蒼白のソフィアが感情のこもらない呟きをこぼした。
    「ただでさえ、こんなに町がめちゃくちゃに されてるのに……もっと強いアニマが出てくるっていうの?そんなの……どうしたらいいのよ」
    「おっきかった。それに、すっごくはやくて」
    マカロンは懸命に自分が感じる脅威を知らせようとしているのだろう。
    けれどその様子がひどく無邪気にも思えて、それが無性に恐ろしかった。昆虫を躊躇無く引きちぎる幼児の無邪気。
    そんな俺の物思いを、ライサの密やかな呟きが遮る。
    「ゼノアニマ……」
    なんのことか、と聞き返そうとしたとき、ハンペンが俺に意見を求めた。
    「どうしやす、ダンナ」
    「どうって……」
    反射的にソフィアに目を向ける。
    俺よりも、ソフィアだ。ソフィアにとってこの町は生まれ故郷で、両親が住んでいて、かけがえのない場所で。
    「……どうする、ソフィア」
    もしもソフィアが望むなら、おじさんとおばさんを説得して逃げ出してもいい。たとえ故郷が失われても、死ぬよりはマシだろう。生きてさえいれば、どうにかやり直すこともできる。今ならほぼ確実にアニマの襲撃からは逃れられるはずだ。
    でも俺は知っている。
    優しい少女が、自分たちだけ逃げてよしとするはずなんかないってことを。
    「……きっと、来るのよね。強いアニマが……」
    「くるよ!」
    うん、とソフィアは頷いた。
    「マカロンのことは信じるわ」
    その瞳に強い意志が蘇る。
    「なら、答えはひとつ……お願い、みんな。私と一緒にこの町を守って」
    俺は頷き返した。
    「もちろんだ。俺にとってもこの町は長く住んだ思い入れのある町だから。見捨てたりはしない」
    マカロンとハンペンも同調する。
    そして、ひょっとしたらソフィア自身「みんな」のなかに含めていなかったかもしれないライサまで、意外なほどあっさりと頷いた。
    「別に、かまわないけど」
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