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「天啓パラドクス」ノベライズ
──3章5話──
- キン、と金属のぶつかる甲高い音がした。
ライサの短刀に絡め取られたメリッサの剣がくるくると宙を舞う。
剣を失った我が手を、メリッサは愕然と凝視していた。
「勝負あり」
「バカな……この私が……!?」
ライサは、勝敗など最初から決まっていたと言わんばかりの無表情で短刀を収める。
「約束通り、ここからは私たちに従ってもらう」
メリッサは呻いたが、ライサが「約束、守るよね?」と「約束」という言葉を繰り返して念を押すと、不承不承ながら頷いた。
「当然だ。負けは負け。言われたとおりに従おう」
「いやあ、圧倒的でしたぜ」
ハンペンが感嘆の声を漏らし、マカロンがはしゃぐ。
「すごい、ライサ。げいにんさんにもかっちゃった」
「メリッサだよ」
「ふえ?」
「名前で呼ぶの。少なくとも、いまは仲間だから」
ライサの訂正に、俺も同調した。
「そうだな。仲間になる以上、マカロンもちゃんと名前を覚えないとダメだぞ」
「わかった」
マカロンは頷くと、にっこり笑顔で手を差し出す。
「メリッサ、よろしくね。マカロンだよ」
メリッサは気取った仕草で微笑み、マカロンの小さな手を握り返した。
「ふっ……。敗者にも対等に接する姿勢、それもまた美だね」
「美の範囲が広い」
呆れ顔でライサはツッこむ。
だがメリッサは、それが本来の姿なのだろう、すっかり自己陶酔まみれのペースを取り戻していて、動じる気配がない。
「ライサは、決闘で勝利することによって、この私を超えたのだ。私を超える、それすなわち美の極みと言っても過言ではない」
「何を言ってるのかさっぱりだが、まあ協力してくれるなら、心強いよ。よろしくな」
マカロンにならって手を差し出すと、メリッサはおもむろに片膝をついて俺を見上げた。
「ああ、もちろんだ。美しき君よ」
「な、なにしてんだ、急に」
俺は狼狽えて、思わず手を引っこめる。
無論、そうした儀礼があることくらいは知識として知っているが、自分がその対象にされるとは夢にも思わなかった。
「共に戦うことになった以上、敬意を示す必要がある」
だからってそこまでする必要があるのか、そもそも敬意を示す対象は俺なのか、ライサじゃないのか、マカロンの手は普通に握ったくせに。
ツッコミどころが多すぎて、なにから口にしようか迷っているとライサが唇の端を歪めて笑う。
「ひざまずいて手を取るなんて、お姫様みたい」
「おひめさま?マカロン、それしってるよ」
「おい、変なこと言うなよ」
って言うかマカロン、そういう記憶は残ってるのか。それって「スプーンは左手」と同レベルの記憶なのか。もしかしてこいつ、どこぞのお姫様だったりしないだろうな……?
マカロンの正体に思いを巡らせていると、ライサが唇の端に笑みを張り付けたまま俺の顔をのぞきこんだ。
「だってその構図、姫と騎士って感じ」
「それだと俺が姫になっちゃうだろ!」
かくなる上は、絶対メリッサに俺の手を取らせるわけにはいかない。下手すればそのまま手の甲にキスとかされそうだ。そうなる前に──
俺はメリッサが差し出したまま宙に浮いていた手を力任せに掴んだ。
その瞬間、冬場にドアノブを触ったときに感じるような刺激が右手に走る。
同時にメリッサも息を呑んだ。
「い、いまのって……!?」
メリッサも珍しく動揺した様子で自分の指を見つめる。
「なんだ……!?触れた指先が、火傷でもしたように熱く……」
「まさか」
ライサが目を見張った。
そうだ。今の現象は、俺とライサの間で起きたことの再現だ。
「……ああ、そのまさかだな。『受け取る資格』を持ってる人なんて、めったに会うもんじゃないのに、どうなってるんだ」
「姉御はともかく、ライサさんにメリッサさん……すごいペースですぜ」
ハンペンが感心したようにライサとメリッサを見比べる。
なおも呆然としているメリッサを見やって、ライサは小さく頷いた。
「でも、それなら早く力を与えるべき」
「力……?いったい、何の話だ。それに、いま何をしたんだ」
「彼は、特殊な能力を持ってる」
「なんだ、それは」
「後で説明するから、ちょっとマカロンと遊んでて」
そう言ってライサはメリッサに背を向ける。
「おい……私をバカにしてるのか……!?」
メリッサの恨み言に耳を貸さず、ライサは真剣な面持ちで俺を見つめた。そして「力を与えるべき」と繰り返す。
だが、俺は躊躇った。
ライサとメリッサでは立ち位置がまるで違う。
ライサはまず、俺たちをアニマの襲撃から救ってくれた。その後も常に協力的だった。
一方、メリッサは俺たちと敵対している。今は一時的な協力関係にあるが、いつまた三人揃って襲いかかってこないとも限らない。
それらの事情を口に出して説明するまでもなく、ライサは頷いた。でも、と訴える。
「あなたもわかってるはず。いまは現有戦力をできるだけ最大化するべき」
「ゼノアニマを倒して共闘が終わった後で、俺たちを襲ってくるかもしれないが……」
「そのときはそのとき」
まるで他人事のように淡々とライサは言い切った。
しかし俺はそんなふうには割り切れない。自分をつけ狙う相手に力を分け与えるなんて、ある種の自殺行為じゃないか。
「まずゼノアニマを倒す。後のことはそれから考える」
そう言ったライサの表情は真剣そのものだった。
……恐らく、彼女はこのなかで一番、ゼノアニマの脅威に詳しい。
今、それが一番大事だと、それに対処しなければ「その後」のことなど考えても意味がないのだと、実感として知っているのだろう。
俺はメリッサに力を与えたいとも、与えていいとさえ思えない。
しかし、俺たちが先へ進むためには、ライサの力に頼るしかない。そしてライサが「メリッサに力を与えるべき」と判断するなら、その判断は尊重しなければならないだろう。
「おい、いい加減にしろ。私を無視するんじゃない!」
しびれを切らしたメリッサが、おあつらえ向きに俺の肩に手をかける。
俺は振り向いた。
「悪い、ちょっとじっとしててくれ」
「なっ……!?」
声を上げるメリッサを、強引に抱き寄せる。
彼女は直前までの態度とは打って変わって、硬直して声を失ったようだった。
視界の隅で、ライサが素早くマカロンの背後に回りこみ、両手で目を覆う。
「ライサ?なんでめかくしするの?」
「みちゃだめ。ちょっとまってて」
俺がライサに力を分け与えたとき、マカロンに知らせたがらなかったのを覚えていたのだろう。
その配慮に感謝しつつ、俺はメリッサを抱きしめる手に力をこめた。
「い、い、いきなり抱擁とは、どういうつもりだ。私の美しさにあてられてしまったのか?」
声が上擦っている。余裕のある口ぶりだが、動揺を隠し切れていない。意外と純情なのだろうか。
だが、すぐに声にこもる感情が変化した。
「いや、なんだ……?この、不思議な感覚……」
熱い吐息が漏れる。
どうやら力を分け与えることに成功したらしい。
それを確認して俺はメリッサから身体を離した。
メリッサは片手で胸を押さえ、もう片方の手をじっと見つめる。
「身体が、内側から火照ってくるような……?いったい、なんだこれは。私の身体に何をしたんだ……?」
戸惑いながらも、声から俺に対する棘が抜けているように感じられた。
俺は一応の礼儀として謝罪を口にする。
「いきなり、すまなかった。でも、こうしたほうが説明が伝わりやすいだろ。順番が逆になったけど。えーと、何から説明するのがわかりやすいかな。つまりだな……」
ライサにも言ったが、俺自身、この力についてはわかっていないことが多い。説明しようにも、なかなか要領を得ないのだ。
言葉選びに苦心する俺に向かって、メリッサは小さく首を振った。
「いや、なんとなく理解した」
「え?」
「正確には、わかったような気がする」
「どういうことだ?」
「触れられた瞬間、内側から熱くなってくるだけじゃなく、何かこう、イメージが流れ込んでくるような感覚があったんだ」
「イメージが、流れ込んでくる?」
俺はライサに目を向ける。
ライサは小さく頷いた。
「その感覚、私も少し味わった」
「もしかしたら、お前が見た映像なのかもしれない。或いは、聞いた言葉なのかもしれない。そういった情報の、イメージだ」
一体この力はなんなのだろう。どういう原理で、どういう現象が起こっているのだろう。
これまでメリッサの言う「イメージの共有」という効果があると聞かされたことはなかったように思う。
わからないことばかりだ。わかっているのは「受け取れる」相手に、力を与えることができるという、表面的な事象だけ。
メリッサもライサに目を向ける。
「最初に手合わせしたときよりも、ライサは格段に強くなっていた。それはおそらく、お前のこの能力の影響なのだろう」
ライサが首肯すると、メリッサはフッと笑って髪をかき上げた。
「先ほどの決闘での敗北も、それが理由だろうね。つまり、先ほどの敗北は私の美しさに陰りがみえたわけではない、ということになる」
「勝敗に不服?」
「まさか」
メリッサは肩をすくめる。
「今さら文句をつけるなんて美しくないことはしないよ。ただ、私の輝きが失われていないことが嬉しいだけなんだ」
正直、彼女の思考回路は理解が難しい。ライサも指摘したように「美」という言葉の対象も広く、曖昧だ。今はとりあえず「自分も力を得たところで再戦」などと言い出さなくて良かったと思う他ない。
「詳しいことは後から教えてもらえるかな。ひとまず今の段階では、こんな森の真ん中で長々と説明を受けても仕方ないからね」
「わかった。といっても、俺自身もあまり詳しいことはよくわかってないんだけどな」
そう打ち明けると、メリッサは苦笑する。
「よくわからない能力を、躊躇なく他人に発動するとは……。まあ、緊急時だから仕方ないか」
「そういうことにしといてくれ。さ、それじゃ……」
出発、と言いかけたところで、ライサがまだマカロンに目隠しをしたままであることに気づいた。
「ねー、ライサ、まだ見ちゃダメなの?」
「いや、もういいだろ。放してやってくれ」
俺の言葉に、ライサは面白がるような色を瞳に閃かせる。
「なんだ、もう終わり?見せちゃいけない場面にならないの?」
「ならないって!」
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