天啓パラドクス(テンパラ)公式小説

「天啓パラドクス」ノベライズ

──2章8話──

  • 夜の森は、案外うるさい。人だけが住む町とは違い、全ての生き物が眠りについているわけではないからだろう。
    そんな夜行性の動物の奇声を耳に、ふと目を覚ますと、テントから少し離れた場所で丸太に腰掛けて、空を眺めるソフィアの姿があった。
    俺はテントから抜け出し、そちらに歩み寄る。
    「あ……起こしちゃった?」
    「どうした。こんなところで」
    隣に腰掛けると、ソフィアは悄然とした様子ながらも、口角を上げて形ばかりの笑みを浮かべ、答えた。
    「テントのそばだと、みんなを起こしちゃうかと思って」
    「眠れないのか?」
    「ちょっとね、不安になっちゃって」
    ソフィアは視線を足下に落とす。
    「あれだけ戦えて、冷静なライサが明らかに動揺してた……。ゼノアニマが、簡単な相手じゃないことはわかるでしょ」
    「勝てる気がしない、ってことか」
    軽い挑発を交えて問う。
    ソフィアは薄く笑った。
    「見てもいない敵に、そこまで弱気じゃないわ」
    負けず嫌いに火がついた、と思ったのもほんの一瞬。
    「でも勝つ自信もないの。もし出会ってしまったら……」
    「ソフィア……」
    俺はソフィアの肩に手を回し、抱き寄せる。
    「大丈夫だ。ソフィアは、強い」
    ソフィアは、頭をもたれかけさせながらつぶやいた。
    「こうして触れていると……力が湧いてくる」
    「ああ。俺にできることはこれくらいだからな。そうだ、昨日の傷はもうなんともないか?」
    「うん、あなたのおかげ……」
    ソフィアの囁き声を、背後の繁みを揺らすガサッという音が邪魔した。
    瞬間、ソフィアは弾かれたように立ち上がって剣を構える。
    「誰かいるの!?」
    獣か、魔物か、あるいは。
    警戒する俺たちの前にハンペンがそのずんぐりした身体を現した。
    「あ、やべ……違うんですよ、たまたま通りかかっただけで!そしたらほっこりする会話だったんで、つい」
    「つい、じゃないだろ……!」
    「あっしのことは気にせず、引き続きイチャイチャしていいんですぜ」
    悪びれもせず言い放つ。
    ソフィアは顔を赤くして言い返した。
    「気にせずって、気になるに決まってるでしょ!もう!」
    ソフィアは剣を下ろして笑う。
    「なんかもう、気が抜けちゃったわ。おかげで不安も怖いのもどっかいっちゃった」
    「不安になったらいつでも吐き出してくれ」
    「そうそう。あっしら戦えませんけど、姉御はひとりじゃないんですぜ」
    この野郎、ちゃっかり好感度稼いでやがる。お前がのぞいてたこと、俺は忘れてないからな。
    けど、ソフィアは素直に礼を言った。
    「うん……ありがとう。大丈夫よ。故郷を守るためだから、戦える」
    少し、気持ちは立て直せたのだろう。しかし、その言葉はどこか、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
    「大切なものを守るために、ずっと鍛錬を積んできたんだもの。ここで逃げたら……何の意味もない」
  • 翌朝、俺たちは食事を終えると大ケヤキに向かって出発した。
    マカロンは少々ご機嫌斜めだ。
    「あぁー、おなかはいっぱいなのに!ごはんが食べたいよーっ!!」
    「胃袋はひとつしかない」
    ライサの返事にマカロンはむくれる。
    「そうなの。しかたないのはわかってるの。でもやっぱりものたりないの」
    ハンペンとソフィアが口々に同調した。
    「お嬢は食べるの大好きだしな」
    「私もわかるわ……。やっぱり持ち運びできる保存食とか、森で採れる木の実とかだけじゃ、食べた気がしないわよね」
    マカロンが来た道を振り返る。
    「やっぱり町のごはんって美味しいんだね」
    「こんな旅の途中の食事と比べること自体、定食屋のおっさんが泣くぞ」
    あのとき口にした料理の数々を思い出したのか、マカロンの口元がだらしなく緩んだ。垂れかけたよだれを慌てて拭う。
    「はやくアニマをやっつけて、町にもどろうね!」
    「ふふっ、そうね。さっさと片付けてやらないとね!」
    どうやらソフィアも、一晩眠って気持ちを切り換えられたようだ。
    先を急ごうとしたとき、ライサが振り返った。
    「ん……?なにかくる……」
    今度こそ、獣か、魔物か。
    身構える俺たちの前に姿を現したのは、三つの人影だった。
    森の静かな朝の空気を、やかましい高笑いがかき乱す。
    「はーっはっはっは!そこまでだ、災禍の導き手よ!」
    笑い声の主は、手にした鞭を俺たちに突きつけた。
    その脇で、剣士がポーズを取る。
    「華麗なる剣さばきで悪を討つ!情熱と美の魔剣士、メリッサ!」
    剣士の反対側で、ボブカットの少女がボソボソと名乗りを上げた。
    「あ、えっと、すごい研究で悪を討つ。知性と技の機工師、シャーロット」
    鞭を手にした女が改めて声を上げる。
    「絢爛たる疾風の鞭で悪を討つ!正義と愛の伝道師、ヴァネッサ!」
    そして三人はそれぞれに彩りの違う声を揃えた。
    「我ら、天啓のエンフォーサー!世を乱す貴様の身柄、天に代わって確保するっ!!」
    ライサが首を傾げ、俺は面くらい、ソフィアが丁重に誰何した。
    「……どちらさま?」
    ヴァネッサと名乗った女が地団駄を踏む。
    「おぉい!おととい会ってるわよね!?記憶喪失なわけ、あんた!」
    「きおくそうしつ?うん、そうだよ」
    「なにぃいいい!?こ、こいつ、あたしをバカにして……!」
    バカになんかしていない。マカロンが記憶喪失なのは事実だ。言いがかりはやめてもらいたいものだ。
    一方、剣士はなにやら勝手に納得していた。
    「ふっ。覚えていないのも無理はない。あまりに私が美しいので、直視できなかったのだろう」
    ライサが三人組を指さし、呆れ顔で振り向く。
    「何者なの?」
    「わかんない……。なんだろう、この人たち……」
    首を振るソフィアに、マカロンが目を見張った。
    「えー、わすれちゃったの?リーニャ・タウンで会ったでしょ。たびげいにんの人たちだよ!」
    あー、うん。マカロンにだけは言われたくないよな。「忘れたのか」なんて。
    「誰が芸人よ、誰が!」
    ヴァネッサと名乗った女が柳眉を逆立てる。
    その様子に、すっかり意識から抜け落ちていた記憶が徐々に蘇ってきた。その後に起きたアニマとの戦い、そしてマカロンの予知に気を取られてしまっていたが……。
    「ああ、そう言えばなんか愉快な人たちが……」
    ボブカットの少女がうなだれる。
    「ねぇ、ボクもう心が折れそうなんだけど」
    「見られることに慣れていないのか」
    「そういう問題じゃなくて」
    左右の連れのやりとりを押しのけ、中央のリーダー格が再び鞭をこちらに突きつけた。
    「とにかくっ!リーニャ・タウンでは住民の皆さんに迷惑をかけるので敢えて……敢えて、撤退したけども!」
    「強調するわね」
    「ここは誰もいない大森林のど真ん中!誰かに配慮する必要もない」
    まぁ、それはそうだろうが。
    「こんな森で偶然会うわけないし……もしかして、俺たちのこと、尾行してきたのか?」
    「そこまでして、なんで私たちに絡もうとするのよ」
    迷惑顔のソフィアに、ヴァネッサは力強く俺を指さす。
    「答えはひとつ。あたしたちはその男の罪を知っているからよ!」
    ライサとソフィアが揃って俺を振り向く。
    「……罪?」
    なにその疑いの視線。やめてくれよな、こちとら善良な行商人だぞ。身に覚えなどあるわけないじゃないか。
    「お前こそ、災禍の導き手こと、ヒュームの第八皇子でしょうっ!」
    思いがけない糾弾に、俺は思わず息を呑んだ。
    マカロンがきょとんと首を傾げる。
    「だいはち?なんのこと?」
    「ヒュームって、あの貿易で有名な国のこと、よね……?皇子って、ちょっと、なに言ってるの……?」
    ソフィアも戸惑いを隠さない。
    シャーロットと名乗った少女が鞭の持ち主にひそひそ話しかける。
    「ねえ、ヴァネッサ。本当にこの人で間違いないんだよね?なんかピンときてなさそうな雰囲気だけど、人違いとか困るよ」
    「ふっ、そのときは私が誠意を込めて謝罪すればいい」
    剣士が気取った仕草で髪をかき上げ、シャーロットは力いっぱいツッこんだ。
    「謝罪『すればいい』とか言ってる時点で誠意が感じられないよ!」
    だが、彼女らのリーダーには確信があるようだった。
    「安心しなさい、シャーロット。あたしが間違うはずないわ。何度も、そう何度も何度も、資料は読み込んだんだから」
    そして声高らかに宣戦布告。
    「さあ、覚悟しなさいっ!災禍の導き手!」
  • //8話END
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