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「天啓パラドクス」ノベライズ
──2章2話──
- リーニャ・タウンの東側に、中流階級の住宅が集まった一画がある。
そのうちの一軒に向かうソフィアの足は、最後、ほとんど駆け足だった。
「ただいま!パパ、ママ、いる?」
ノックもなしに扉を開けて飛びこむなり上げた声は、少なからぬ不安を孕んでいた。
奥からおっとりとした雰囲気の女性が姿を現す。目鼻立ちから立ち居振る舞いに至るまで、ソフィアは彼女によく似ていた。ふたりが母子であることを誰も疑わないだろう。
「あら、ソフィア。戻ったのね」
魔物の襲撃を受けてまだそう時間の経っていない非常時のはずだが、動揺している様子はない。ソフィアの度胸は、母譲りなのだろう。
「お久しぶりです、おばさん。魔物が出たって聞いてたんですが、無事みたいで安心しました」
挨拶をすると、おばさんは相好を崩した。
「まあ、久しぶりね。ソフィアに捕まったの?」
「捕まったってなに!?」
俺は短く笑い「世話になってます」と応えるに止めた。
ソフィアが気を取り直して家のなかを見回す。
「パパは?」
「仕事で出てるわ。大丈夫、なんともないわよ」
ソフィアは安堵のため息をつきつつも肩を落とした。
「あんなことがあったのに、もう仕事してるの?ほんっと、パパってば仕事人間なんだから……」
「パパはそういう人だから。それに、町全体も災いが起きたとはいえ、落ち着いたものよ。十年前の災禍に比べれば、これくらい」
「ならよかった。家も……表を見たらちょっと壊れてるところもあったけど、大きな問題はなさそうね」
どうにかね、と頷いておばさんは俺とソフィアを見比べる。
「ふたりは、いつから一緒なの 」
「近くの町で偶然再会して、ソフィアに護衛をしてもらうことになったんです」
「そ、そうなの。ほんっと偶然なんだけど」
微妙にそわそわしている娘に頷いて、おばさんはコロコロと笑った。
「よかったわねぇ。あなたが護衛もなしに旅するのが心配、なんていって剣もがんばってきたのよ」
「え?」
思わず聞き返すとソフィアはわたわたと手を振りながら俺とおばさんの間に割って入った。
「なっ、ななななーんでもないのよ!?やだ、ママってば!それもう子供の頃の話じゃない?これはあくまで仕事だから!ね!?」
そのまま言い返す暇を与えず、強引に話を変える。
「それよりほら、マカロン。お腹すいたでしょ、ねっ?」
「ううん、だいじょうぶ。だいじなおはなし、おわるまでまてるよ」
にっこり笑うお利口さんに、ソフィアの笑顔が微妙に引きつった。
「ぜんぜん大事じゃないから!おなかすいたんでしょ?ねっ?ごはんもらえるか聞こう?」
狼狽える娘を押しのけ、おばさんがグイッと身を乗り出す。
「そ、その子は……」
「あー、なんて説明したらいいかな。いろいろ事情があって」
「孫の顔が見られるなんて嬉しいわ。さあおいで、おばあちゃんだよ」
おばさんは満面の笑みでマカロンに両手を差し出した。
ソフィアがたまらず大声で叫ぶ。
「ちがぁーう!」
両手を広げておばさんを遮り、マカロンの肩に両手を置いて力説した。
「私が家を出発して何週間かしか経ってないよね!?こんなに大きな子供がいるわけないでしょ!」
「冗談に決まってるでしょ。真っ赤になって否定しなくても……」
微妙にいたたまれない空気になってきたので、俺もマカロンを利用して話を変えさせてもらう。
「でも、この子が腹を空かせてるのは本当なんですよ。な?」
「う、うん……ごはん、たべられる?」
「簡単なものでもいいんだけど、なにかない?」
すかさず話に乗っかる娘に、おばさんは頬に手を当ててため息をついた。
「それがねぇ……家はほぼ無事なんだけど、水回りだけ壊れちゃって使えないのよ」
「そうなの!?もう……魔物のせいで、いい迷惑だわ 」
「ただの魔物じゃなかったのよ。最近、噂になってる『アニマ』が出たみたい」
おばさんの言葉にソフィアは目を見張る。
「え……『アニマ』って、十年前の災禍でたくさんの被害を出したっていう、アレ?」
「えぇ。私は隠れてたから、はっきり見たわけじゃないんだけど」
「そっか……見慣れない魔物だと思ったら、あれが『アニマ』だったのね」
街に入る直前に遭遇した魔物を思い出しているのだろう、ソフィアが険しい表情で頷いた。
「あなたたちも『アニマ』に遭ったのね。良かったわ、無事で」
「あにま?」
「ああ。普段の魔物とは違う、災禍のときにだけ現れると言われている魔物ですぜ。どういう存在なのか、詳しいことは分かってませんけどね」
「二十年前の『第一の災禍』から存在は知られてるけど、結局のところあれがどういったものなのかは解き明かされてないんだよな」
首を傾げるマカロンにハンペンと俺が揃ってレクチャーしたが、どれくらい理解できているのか、いささか心許ない。
「すごくむかしのこと?じゃあマカロンはわかんないよね」
そうね、と頷いたソフィアはアニマのことをひとまず棚上げすることに決めたようだ。
「それよりまずは目の前の問題、マカロンのごはんをどうするか考えなくちゃいけないわね」
「うん、ありがとっ、ソフィア!おなかすいたーっ!」
マカロンは両手を挙げて叫び、俺たちの顔を順に確かめる。
「あれっ、マカロンだけ?」
「いやいや、あっしもちょっと空いてきたとこですぜ」
「すみません、おばさん。なんとかなりませんか。このままだと俺、こいつに頭をかじられるんです」
冗談だと思ったらしく、おばさんは「まぁまぁ」と笑い、それから困ったように眉根を寄せた。
「そうは言ってもねぇ。食材はほら、ここにお芋がたくさんあるんだけど」
おばさんが指さす先には大きな木箱が置かれている。なかには芋がぎっしり詰まっていた。
「なんで芋ばっかり、こんなにあるのよ」
「この前、安かったのよ。でも、それを茹でるためのキッチンが使えないんじゃねぇ」
おばさんの困惑をよそにマカロンは木箱をのぞきこむ。そして目を輝かせたかと思うと、芋にかじりついた。
「はぐはぐはぐ!」
「ちょっとマカロン!?」
「芋を生で!」
「お腹壊しますぜ、お嬢!」
慌てる俺たちに、顔を上げたマカロンはそれなりに満足げな笑みを浮かべる。
「ちょっとかたいね。でも、おいものあじはするよ」
「マカロン……この後でどこかの店で食わせてやるからとりあえず芋を生で食うのはやめとけ」
マカロンは俺の顔と芋の詰まった木箱を見比べ、未練たっぷりの顔で一応は頷いた。
「んん……わかった」
マカロンが木箱を離れると、そこをのぞいてソフィアは額を押さえる。
「お芋、一個まるまる食べきっちゃったの……?」
「うんっ!」
「ま、まあいいわ。とにかくマカロンになにか食べさせにいきましょう」
「そうだな。じゃぁ、おばさん、俺たちちょっと出てきます」
「ごめんなさいね、間が悪くて」
「いや、魔物に襲われたんだし、被害がキッチンだけで済んで良かったくらいですよ」
俺の気休めにソフィアが表情を改めた。
「ママも気をつけてよね。『アニマ』がまた、来るかもしれないんだから」
「わかってるわよ。あなたこそ気をつけるのよ。自分の恋人は自分の手で、しっかり守ってあげなさい。そのために修行したんだから」
「こっ……恋人っ!?そんなんじゃないしっ!修行したのも別に、自分のためだしっ……!」
いや、そう言いながらこっちを見るのやめてくれ。照れるから。
俺を気まずさから救ってくれたのは、マカロンの食欲だった。
「おばちゃーん、おいも、もう一個もらってもいい?」
さすがに豪胆なおばさんも、これにはいささか鼻白む。
「……いいけど、あとでちゃんと火を入れて食べるのよ……?」
- その頃、リーニャの森、奥深くでは異変が起きていた。
獣たちはその場から逃げ去り、この森で唯一の存在となった異形が衝動にまかせてリーニャの誇る緑を次々に蹂躙する。
だが、そこに平然と近付く影があった。
その影の正体を、まだ誰も知らない――
- //2話END
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