天啓パラドクス(テンパラ)公式小説

「天啓パラドクス」ノベライズ

──1章2話──

  • 商売において最大のリスクとは、何も行動しないこと。
    だから、常に挑戦する心を忘れないように。
    商人として、常々そう心がけていたのだが……。
    何事も程々に、という言葉も、現在の自分たちに深く突き刺さっていた。
  • リーニャは豊かな国だ。
    肥沃な土地、農業に適した気候、そしてヒューレーという英雄の名を冠した巨木の加護。
    農作物の生産量ではエダフォス大陸でも群を抜いており、飢餓とは縁遠い。
    その王都、リーニャ・タウンへ向かう街道ともなれば、よく整備され周辺の治安も良く、のどかな田園風景を眺めながらのんびり荷車を引く気楽な旅路だ。
    ……常ならば。
    「ソフィアっ、ついてきてるか!?後ろは振り返らないで、まっすぐ走れっ!!」
    俺は必死に荷車を引きながら、振り返る余裕すらなく声だけ飛ばした。
    「もーっ!しんっじらんない!なんでこんなことになってんのよ!」
    そう応えたのはソフィア。少年期を共に過ごした、旧知の間柄の女の子だ。
    女だてらに剣の技量に優れ、それを生かして俺の行商の護衛を務めてくれている。
    肩まで伸ばした髪は柔らかな栗色で、笑うとほにゃっと崩れる表情が場を和ませる癒し系。
    「ダンナぁ!載せてもらっといてなんだけど、この際、荷車は捨てていったほうがいいんじゃないんですかね!?」
    後方、荷車の上から聞こえた声はハンペン。旅の途中で拾った魔物だ。
    魔物と言っても千差万別だが、こいつは言葉も通じるし害のないタイプだ。長くとがった耳はウサギのようでもあるし、一方でずんぐりした体型と太いしっぽは狸のようで、妙に愛敬がある。ひょんなことから知り合い、なんとなくウマがあって行商のお供として連れ回している。
    が、今の言葉は聞き捨てならない。
    「バカっ、商人が商品捨ててどうすんだ!」
    商人の誇りが賭かった魂の叫びに、無粋な護衛が横槍を入れた。
    「バカはあなたでしょ!フォレストタイガーに興奮薬をビンごとぶちまけるなんて!」
    俺がなにか言い返すより早く、悲鳴が上がる。
    「ひいいぃぃっ!?追い付かれてきたわよっ!?お尻、かすったんだけどーっ!」
    天罰だと笑ってやりたいところだが、事態は切迫の度を増してきているらしい。
    ツッコミを入れるハンペンの声も上擦っていた。
    「おい、ソフィアの姉御!アンタ、護衛として雇われてんですよ!ババーッとやっつけてくださいよ!」
    「バカ言わないでよ!普通の魔物なら戦うけど、興奮薬でおかしくなってるフォレストタイガーなんて逃げるしかないでしょ!あんたこそ、同じ魔物として話し合いで解決したらどうなのよ!」
    「姉御がいま自分で言いましたよね!?興奮薬でイカれてるやつに話し合いもへったくれもねーっすよ!」
    旅の連れ同士の心温まる責任のなすりつけ合いに、俺は事態解決の可能性を探る。
    今のやりとりから考えて、ふたりに期待するのは難しそうだ。となれば、善意の他者をアテにするのが最善。
    「ま、町の近くまで行けば、衛兵が助けてくれるはず!」
    極めて現実的かつ可能性の高い選択肢の提示のつもりだったが、連れには不評だった。
    「おわあああっ!?死ぬっ、死んじゃいますよっ!!」
    今度はハンペンに矛先が向かったらしい。
    人間も魔物も差別しないとは、なんと素晴らしき平等主義者。
    「え、ちょっと!あれ見て!道の先に女の子が倒れてるわよ!」
    よそ見してる暇があるとか、ソフィアのやつ案外余裕があるな。実はその気になればフォレストタイガーくらい楽勝で追い払えたりして。
    頼れる護衛に密かな疑惑を抱きつつ、その言葉の真偽を確かめようとする。が、草の丈が高く俺の視界には入らない。それでも、聞き流してしまえる内容ではなかった。
    「行き倒れか!?しょうがない、ソフィアっ、拾って荷車の上にのせてくれ!」
    「連れてくのか!?」
    ハンペンが仰天するのも無理はない。
    今の俺たちはフォレストタイガーから絶賛逃走中の身の上だ。他人に構っている余裕などない。だが……
    「このまま放っといたら、その子が魔物にやられるだろ!」
    他方、発見者は俺の答えを予期していたのか、「しょうがないわね」と短くぼやいただけで異を唱えることなく加速する。
    「はああっ!」
    気合い一閃、ソフィアは走りながら倒れた女の子を抱え上げ、そのまま荷車の上に放るという荒業をやってのける。
    ドサッという音に続いて背後から寝ぼけたような声が聞こえた。
    「あう……?」
    それが行き倒れていたと思しき女の子のものであることをハンペンが裏づける。
    「ダンナっ、とりあえず生きてますぜ!」
    「よし、あとは全力で逃げるだけだな!」
    荷物が増えた分、さらに脚に力をこめた。
    その脇でソフィアが戸惑ったような声を上げる。
    「あ、あれ……?急に追いかけるのをやめたわよ。あんなに興奮してるのにどうして……」
    「理由なんかどうでもいい!とにかくチャンスだ、今のうちに逃げ……」
    「ダンナ、足元っ!」
    「地面が、ない!?」
    力強く踏み出した俺の足が空しく空をかいた。
    「崖んなってるぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……………………」
    俺の叫びが落下する急斜面にこだました。
  • それからほどなく。
    転がり落ちた崖の下で全員の無事を確認して、俺は深く深くため息をついた。
    「あー……ひどい目にあった」
    「あなたが原因でしょーが」
    今回は仕事をしなかった護衛がじと目でツッこむ。
    確かに、魔物に追いかけられるシチュエーションを招く引き金を引いたのは俺なので、反論はしない。
    「はいはい、悪かったよ」
    とはいえ、俺だってわかっていてやったわけではない。
    「ビンを取り落とした先に、あんな魔物がいるなんて思わないだろ。それに、滋養強壮薬があんなに効くなんて……」
    ボソボソとこぼすグチにハンペンが苦笑した。
    「恐ろしいほどの不良品ですな……」
    「そんなことはいいから、ハンペンは在庫チェックな」
    「あいよ」
    ハンペンはひょいと荷車に飛び乗って周囲を改め始める。
    「えーと、荷車は無事、保存食は十箱あり、道具系が三箱あり、金貨袋もある……」
    「中身はほとんど入ってないけどね」
    「やかましい」
    「あー、陶器は全滅でしょうなー。まあ一応、箱はある、っと。それから……」
    俺たちの視線が「それ」に集中する。
    まだあどけない印象の女の子。
    逃走の最中にソフィアが見つけ、回収した行き倒れだ。
    さて、一体何者なのやら、どう扱えばいいのやら。
    どう口火を切ろうかと考えるうちに、少女は目を開けた。
    「……っ!?」
    「おぉ、お嬢ちゃん。気づきましたか、大丈夫ですかい」
    ハンペンの呼びかけを無視して少女は身体を起こす。
    その視線が周囲を見回し、俺の上で止まった。
    少女は身を乗り出して訴える。
    「た、助けて!お願い、大変なの!」
    「な、なんだ?どうした?」
    「このままじゃ、この世界は崩壊しちゃうの!なんとかして止めないと!お願い、手を貸して!」
    俺はソフィアと顔を見合わせる。
    代表して、ソフィアが問いかけた。
    「世界って、いきなり話が大きくなってるけど、どういうことなの?落ち着いて、ちゃんと説明して」
    「世界の終わりが始まってるの。だって、あ、あああっ!?」
    言葉の途中で少女はいきなり背後を指さす。
    「あ、あれ……っ!」
    そちらに目を向け、俺は息を呑んだ。
    空中に漆黒の楕円が浮かんでいた。大人ひとりの背丈程度の高さと、肩幅程度の幅をもつ縦長の楕円。その表
    外縁部には複雑な文様や細かい装飾が施されている。一方でその中央部、磨き上げられた艶のある漆黒の表面はまるで――
    「まるで、鏡だ……姿見、みたいな‥…。あれは、なんだ……?」
    「そう、あれは鏡……っ、くろ、のっ、くっ――」
    何事か訴えようとして、少女は苦痛に呻く。
    「お、おい、どうしたってんです!?どっか痛ぇんですか!?」
    「う、うぁっ、あああぁぁっ……」
    少女は身をよじってのたうち回ったかと思うと、糸の切れた人形のようにその場にくずおれた。
    「ちょ、ちょっと!大丈夫!?」
    ソフィアが慌てて少女の状態を確かめる。
    「気絶しちゃってる……」
    俺は密かに胸を撫で下ろした。
    少女の苦しむ様はただごとではなかった。あるいは最悪の事態もと危惧したのだが、杞憂だったらしい。
    そして彼女に気を失うほどの苦痛を与えたもの。それは──
    俺は振り返って再び宙を見上げる。
    「……っ!?」
    先ほどまであったはずの漆黒の楕円は、跡形もなく消えていた。
    あれを目にしているだけで、未知のものに対する不安以上のなにか胸騒ぎのようなものを感じていたが、いまはそれもない。どこか禍々しいような気配に、反応していたのかもしれない。直感的に、あれが自分に害をなすもののように思えた。
    呆然とする俺をハンペンの問いかけが現実へ引き戻す。
    「まいったな……ダンナ、どうします?」
    「このまま置いていくわけにはいかないだろ。
    予定通り、リーニャ・タウンへ向かおう。この子も連れて、な」
    「そうね。リーニャ・タウンなら、ちゃんとしたお医者さんもいるし、
    何か対策できるはずよね」
    「相変わらずダンナはお人よしですな」
    幸い俺の示した案はふたりの支持を得られたようだ。
    今後の方針が定まったところで、話題を奇妙な現象に転ずる。少女を苦しめた、あの黒い楕円。
    「それにしても、さっきの黒いのはなんだったんだろうな」
    だが今度は同意を得られない。
    「黒いの?」
    「なんのことよ」
    ハンペンは首を傾げ、ソフィアはきょとんとした顔で聞き返した。
    そんなバカな。あれほど大きなものを見逃すなんてことがありえるのだろうか。
    「ふたりとも見てなかったのか?」
    俺が先ほど目にした奇妙な現象について確かめようとした瞬間、ソフィアが息を呑む。
    「この気配…‥!」
    どうした、と尋ねるまでもない。
    木立の陰から魔物が姿を現した。
    「大丈夫、今度こそいいところ見せるから!」
    頼もしく請け合って、ソフィアは剣を構えた。
  • //2話END
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