天啓パラドクス(テンパラ)公式小説

「天啓パラドクス」ノベライズ

──2章7話──

  • 俺たちはソフィアを先頭にリーニャの森のなかを進んでいた。
    殿を務めるライサは興味深げに周囲の様子をうかがっている。
    「すごく……深い森……」
    ちょっとしたお国自慢気分で俺は振り返った。
    「ライサはリーニャの森は初めてか?」
    「うん。なんか緑の匂いが濃いね」
    「ライサのいうこと、わかる。むわぁってするよね」
    言いながら、マカロンはすんすんと鼻を鳴らして森の臭いをかぐ。
    ライサは僅かに唇を綻ばせ、それから少しだけ心配そうに周囲を見回した。
    「こっちの方向で合ってるの?」
    「ええ」
    ソフィアが足を止め、俺たちが追いつくのを待つ。
    「歩きやすい道を選んで多少、迂回したりはしてるけど、あの大ケヤキの方向に向かってるわよ」
    「この森のことならソフィアに任せておけば安心だ。なんていっても地元だしな」
    「逆に言うと、ソフィアがいないと迷うってこと?」
    ライサが揚げ足を取り、マカロンとハンペンがそれに乗っかった。
    「あれー?住んでたんじゃないのー?」
    「確かに。ダンナもリーニャに住んでた時期があるはずですぜ」
    「え、俺か?いや、しばらく住んではいたけど……ソフィアみたいにすいすい進めないって」
    「私は小さい頃から、この森を遊び場にして育ってきたからね」
    得意げに胸を張って、ソフィアは歩き出す。
    ライサは安堵を隠さず頷いた。
    「なるほど。確かに足取りに迷いがない」
    しばし、俺たちは黙々と道なき道を行く。
    ソフィアが進路を確かめるために足をとめたとき、マカロンが呟いた。
    「ミル……さびしがってないかな」
    「ミル?」
    訝しげなライサに、ソフィアとハンペンが説明を試みる。
    「あ、えーと……実はね、もうひとり仲間がいるのよ」
    「ちょっと今は別行動ですけど、この件が片付く頃には合流する予定ですぜ」
    「それがミル?……どうして別行動なの?」
    「あー、うん。ちょっとね」
    あれはいくら言葉を尽くしてもなかなか理解してもらえないだろう。自然、歯切れの悪い返事が多くなる。
    「ミル、げんきかな……」
    「かわいそうだけど、でも仕方ないわ。このあたりは木がいっぱい集まって狭いでしょ?」
    「無理に通ったら森がめちゃくちゃになるし、ミルだってたぶん、怪我しちゃいますぜ」
    「そっか……」
    ソフィアとハンペンの慰めに、マカロンは一応は納得して頷いた。
    しかしライサは食い下がる。
    「……ゼノアニマが出るなら、戦力は多いほうがいい」
    「ミルも、この三人と同じで戦闘向きのメンバーじゃないのよ」
    戦闘担当の旧友は俺たちを一括りにして苦笑した。
    ライサは軽い非難を帯びた視線を俺に向ける。
    「そう言えば昨日も、ソフィアだけが戦っていた」
    「面目ないけど、アニマや魔物との戦闘じゃ俺たちはあまり役に立てない」
    確かに俺は男だ。性別的にはソフィアより戦闘に向いているのかもしれない。しかし、そちら方面で研鑽を積んでこなかった。無理に戦おうとしてもかえって足を引っ張るだろう。
    ライサはひょいと肩をすくめて引き下がった。
    「旅の商人だったね。じゃあミルも同じ商人か」
    「そんなところだ。積み荷の運搬が主な仕事、かな」
    現時点では「仕事(予定)」だが。
    「ねえ、それより……。いまも名前が出たけど『ゼノアニマ』ってなに?マカロンが町を襲うとこ見たっていう、強いアニマのこと?」
    「話を聞く限りでは……おそらく。あなたたちは見たことない……?」
    俺たちは揃って首を横に振る。
    「アニマの上位種と言われてる。より強力で、凶悪なアニマ……」
    「ライサはその『ゼノアニマ』っていうのを見たことがあるの?」
    返答の前に少し間があった。
    そのときライサの胸中を巡っていたのはどんな思い、あるいは記憶だったのだろうか。
    「……ある」
    ライサは頷き、感情を抑えて付け加える。
    「十年前の……『第二の災禍』で……」
    「ライサ……!あなた、巻き込まれたのね。しかも、アニマに襲われたっていうこと……?」
    愕然とするソフィア。
    一方、マカロンはその言葉も記憶に残っていないようだ。仮に記憶喪失になっていなくても、災禍に遭遇した経験がなければ実感できなくても無理はないだろう。
    「だいにの?なに?」
    「『第二の災禍』っていう、世界中にいろんな良くないことが起きたときがあったのよ」
    俺も記憶を掘り起こして言葉を添えた
    「世界中でいろんなことが起きた。洪水とか、大雨とか、地震とか……」
    「そして、アニマや……活性化した魔物が人々を襲ったの」
    マカロンは実感を伴わない顔で頷いて、でも不意になにかに気づいたように俺を見上げる。
    「さいかは、鏡とかんけいあるのかな?にてる気がする」
    「……確かにそうね」
    「鏡って、何か映ってたっていう……?」
    ライサの問いは、半分だけ正解だ。
    「映ってただけじゃない。実際に俺たちが黒い鏡を見た後、その後にアニマが現れるのも体験してるんだ」
    なるほど、とライサは頷いた。
    「だから鏡に映ったことが、現実になるって信じられるんだね……」
    「ライサは十年前の災禍に詳しいみたいだけど、そのときに黒い鏡が
    どうこうなんて話、聞いたことある?」
    「ううん……私は、ゼノアニマしか……」
    一度、声が途切れる。そして続けられた言葉は強い憤りを孕んでいた。
    「そう……あれ一匹に、すべて……!」
    「ライサ……?」
    「家族も、友達も、何もかも失った……。今でもずっと……血の匂いが立ち込めているような気がして……!」
    俺もソフィアも、かける言葉を見つけられない。
    「第二の災禍」では、その名の通り世界中で多くの災厄が引き起こされた。けれど、当然ながらその被害には個人差がある。ライサが経験した災厄が彼女にとって相当に深刻だったのだろうこと、そしてそれにゼノアニマという強力なアニマが関係しているのだろうことは察せられたが、事情も知らない、まして出会って間もない俺たちが首を突っこんでいい話ではあるまい。
    辛うじてソフィアが一般論の範囲で答えを見つける。
    「普通じゃない、ヤバい相手だっていうのはよくわかったわ」
    「うまく、回避できる方法が見つかればいいんですがね」
    ハンペンの言う通りだ。とはいえ、それが願望レベルの発言であることも確かだ。
    「手がかりを探しに行く、っていう段階だからな。大ケヤキまで行っても、何も見つからない可能性も大いにある」
    俺としては精いっぱい悲観的な予測を立てたつもりだったが、ライサはより深刻な事態を懸念しているようだった。
    「……そのときは、もう逃げられないかも」
  • やがて陽が傾き視界が悪くなってくると、ソフィアは無理をせず足を止めた。
    「よし、じゃあそろそろ野営の準備をしましょう。本当は洞窟なんかがあると過ごしやすいんだけどね」
    もちろん、そう都合良く見つかるものでもない。テントは用意しているし、それ以上を望むのは贅沢だろう。
    「ここでねるの?たのしみ!」
    ライサは毒気を抜かれたような顔で軽く息をつく。
    「……変な子。こんな状況で楽しみなんて」
    「マカロンはちょっと変わってるのよ。記憶喪失っていうのもあるけど」
    あれを「ちょっと」で済ませてしまう誰かさんも、割と変わってる部類だと俺は思う。無論、その言葉がブーメランとなって自分に突き刺さることも重々承知だが。
    「もりって大きいんだね。あのケヤキの木にぜんぜんちかくならない」
    一日中、歩き通したというのにマカロンはまだまだ元気いっぱいだ。周囲の木や繁みのなかを確かめ、一時もじっとしていない。
    「そうよ。このリーニャの大森林は、端から端まで抜けるのに数日はかかるって言われてるの」
    「へぇー、そんなにですかい」
    マカロン向けの説明にハンペンが感心して森林の先に目をこらす。
    「ほぼ森の真ん中にある大ケヤキまで、一日でたどり着くのはまず無理ね」
    「じゃあゼノアニマも、まちまで一日じゃつかない?」
    マカロンの言葉が唐突に俺たちを直面する危機へと引き戻した。
    ……そう、俺たちは森へピクニックに来たわけではないのだ。リーニャ・タウンを襲うと予想される災厄を退けるための材料を探すための、言ってみれば戦支度のようなもの。
    「ゼノアニマが俺たちと同じ速さならな」
    だが、それは期待しないほうがいいだろう。マカロンはビジョンのなかでみたゼノアニマを「大きく、速い」と表現していたはずだ。
    せめてゼノアニマの出現を町へ知らせることができれば、準備の時間を与えられる。だが、それすらも難しいかもしれない。
    重苦しくなりかけた雰囲気を、ソフィアの明るさを装う声が吹き払う。
    「ほら、マカロン。ごはんだよ。昨日みたいにちゃんとしたごはんでもないし量も少ないけど……。今日はこれで我慢して」
    容器に水でふやかしてかさ増しした携帯用の食料をよそい、味付けに木の実や干し肉をまぶしただけの代物だ。うまいとは言えないが、腹にはたまるし持ち運びにも便利、なにより安い。行商人の必需品と言っても過言ではない。うまいとは言えないが。
    思わず繰り返してしまうほど味に難のあるそれを、マカロンは「いただきます」も言わずにかきこんだ。
    「はぐはぐはぐ!」
    その食べっぷりを見ていると、なんだかうまそうに思えてくる。どうせ錯覚だが。
    ライサがポツリと呟いた。
    「……この子は、不思議」
    「そうだな。どこから来たのか。何をしていたのか、本人も含めて誰もなにもわからないからな」
    「ううん、そういうことじゃなくて。わからないことは、不安だと思う。怖いと思う。でもこの子は、元気」
    「マカロン、げんきだよー!」
    一瞬だけ食器から顔を上げて高らかに宣言し、再び食事に戻る。
    「はぐはぐはぐ!」
    「確かに、マカロンは謎のポジティブさがあるわよね」
    「もちろん、素性がわからないのも、不思議だけど」
    ふと俺の脳裏を、とある可能性がよぎった。
    正体不明の、記憶を失った、不思議な少女。
    出会ったのは……黒い鏡を見る直前。
    これはただの偶然だろうか。それともなにか関係があるのだろうか。あるとすればそれは一体どんな関係なのだろうか。
    マカロンと黒い鏡……あるいはアニマ。
    両者を結びつけるものは、今のところ心当たりがないけれど。
    「どうしたの?急にぼんやりしちゃって」
    考えていたことをソフィアに見透かされたように感じて思わず狼狽えた。
    「あ、いや……。ラ、ライサはマカロンに興味津々なんだな、と思って」
    とっさに言い繕った言葉に当のライサから訂正が入る。
    「私が興味を持っているのはあなた」
    「えっ、俺!?」
    「あなたのことを、もっと知りたい」
    なにやら意味深なセリフに思わずドキッとした。
    それは普通、恋愛感情ないしその萌芽を意味していると解釈されるのではないだろうか。
    ソフィアも目を白黒させる。
    「え、ちょ、な、なに言って……」
    俺たちふたりを慌てさせるだけ慌てさせておいて、ライサは視線をマカロンに転じた。
    「マカロン。それなに?」
    「おいも!ひ?いれてねっていわれた!」
    マカロンは携帯用食料を平らげてしまい、それでもまだ足りないのだろう、おばさんからもらった芋を荷物から取り出している。放っておけば今にもかぶりつきそうだ。
    「ああ、生では食べられないから」
    いや、ちょっと待て。こっちはまだ動揺してるんですけど?芋の食べ方について議論してないで、先ほどのお言葉についてなんらかの補足をいただけませんかね?
    ライサに向かって口に出せない抗議をしていると、別方向から殺気を感じる。
    ソフィアが不機嫌そのものの顔で俺を睨んでいた。
    「な、なんだよ、ソフィア。目が怖いぞ」
    「べっつにー」
    プイッとそっぽを向く。
    なんだよ、俺、なにもしてないだろ。
    これまた声に出せない抗議をしている俺をよそに、ライサが焚き火に枯れ枝をくべた。
    「じゃあ、焼いてあげる」
    「わーい!おいも!」
  • //7話END
  • 戻る次へ