天啓パラドクス(テンパラ)公式小説

「天啓パラドクス」ノベライズ

──3章2話──

  • 「……私に、何をしたの」
    ライサは手を胸元に抱えこみ、警戒も露わに俺を睨む。
    その手に触れた瞬間、俺は小さな波動を感じた。
    表情から、彼女も同じように感じたのだとわかる。
    俺は驚きながらも、釈明を試みた。
    「……悪い。意図したわけじゃないんだ。たぶん、ライサが……『受け取れる』から、こうなったんだと思う」
    「私が……『受け取れる』?」
    眉をひそめられるのも無理はない。こんなことは初めての経験だろう。
    未知の事態に遭遇したとき、人は誰しも警戒する。
    その警戒を完全に解きほぐすことはできない。なぜなら俺自身、この力に関してはよくわかっていないからだ。
    それでも、できうる限りの説明をしなければならない。ここでライサの信を失えば、今後の行動は極端に制限される。
    俺は慎重に表現を選びながら言葉を継いだ。
    「簡単に言うと、俺は触れた相手に力を与えることができる」
    「力を、与える……?」
    足を止めた俺たちに、マカロンが振り返る。
    「どうしたの?はやくいこ?」
    「マカロン、ちょっと待っててくれ。ライサと、大事な話ができた」
    マカロンはむくれた。
    「むー?ソフィアはいいの?」
    「ソフィアを助けるために必要な話なんだ」
    パッとマカロンの頬が綻んだ。
    「そっか!さくせんかいぎ!」
    「ん、そういうことだな」
    どうやらピンと来たらしく、ハンペンが唸る。
    「ははぁ、ダンナのアレが使えたか……?」
    他者の証言が得られたことで俺が出任せを言っているわけではないとわかってもらえたのだろう、ライサは先を促した。
    「……聞かせて。詳しく」
    「詳しいことは俺自身、わかってないんだ。ただ、俺はどうやら、身体的に接触した相手に力を分け与えることができる体質みたいなんだ。さっきは一瞬だったけど、しっかり触れれば効果はもっと大きい。ただ、なにか相性みたいなものがあるらしい。すべての人に同じように力を与えられるわけじゃない」
    「私は、たまたま該当した?」
    「ああ。どこに違いがあるのかは、俺にもよくわからないんだけど」
    俺は苦笑してみせ、続けて証拠を一つ、提示する。
    「ソフィアも俺の力を受け取ることができる」
    ライサはすぐに思い当たったらしい。
    「私と出会ったとき…… ソフィアは怪我してたはず。でも、翌朝には回復してた」
    「そう、あれも俺のこの能力の影響だ」
    俺が頷くと、ライサも小さく頷き返す。
    「なるほど……それなりに理由はあったってこと」
    恐らく不思議に思ってはいたのだろう。決して深手ではなかったとはいえ、ソフィアの回復はいかにも早すぎた。
    ライサは俺の表情をうかがいながら質問を続ける。
    「私にはその能力、使える? 」
    「さっきの反応から考えれば、そういうことなんだろう」
    「能力を使い続ければ、いくらでも強くなれるの?」
    「ってことになりそうなもんだが、実際はそううまくいかない」
    少なくともこれまでソフィアに分け与えた力が蓄積している様子はない。効果は一時的、もしくは限定的なものなのだろう。
    「……でしょうね」
    ライサは頷いた。
    「それが事実なら、地上最強の戦士を何人も従えてるはず」
    「いきなりでびっくりしたと思うし、こんなわけのわからない話、信じられなくて当然だけど――」
    どうにか納得してもらおうと説得を試みる俺に、ライサはゆっくりかぶりを振る。
    「能力の存在自体は信じる」
    「え……?」
    「さっき触れた感覚は、確かだから。だから、あなたのその能力……私に使って」
    今度はこちらが戸惑う番だった。
    なにしろ、俺自身もよくわかっていない力で、十分な説明もできない。納得してもらうことすら難しいだろうと思っていたのに、自分に使えとまで申し出るとは思っていなかった。
    とはいえ、ライサには度重なる恩義がある。
    俺の力を彼女が受け取れるなら、多少なりとも恩返しになるだろう。
    そして、実際にその効果を確かめれば、俺がウソを言っていないことの証明にもなる。
    彼女が自ら進んで力の行使を求めてくれたのは、好都合と言えた。
    俺が承諾を示して頷き、握手を求めて手を出そうとすると、ライサはそれをするりと躱してマカロンを促す。
    「マカロン、お待たせ。行こう」
    「もうさくせんかいぎ、おわり?」
    「んん?もう終わったんですかい」
    ハンペンが俺に目を向けた。「力」のこともある程度わかっているし、「終わった」とは思えなくて確かめたのだろう。
    俺も少し肩透かしを食らった感は否めない。
    能力を使ってほしいと言ったのに、行動はその言葉を裏切っている。聞き違いだったのだろうか。
    「とりあえずは。とにかく今は、足を動かす」
    ライサとマカロンは並んで歩き出した。
    「おおけやき、とおいのかな」
    「目測だけど、あそこまで今日のうちに到着は難しい」
    「ええー?ほんとにとおい~」
    俺はハンペンと目を見交わす。
    ライサの意図はどうあれ、大ケヤキに向かわなければならないのは確かだし、そのための行動に異論を挟む必要はないだろう。
    俺たちはふたりを追って歩き出した。
  • 森のなかは歩きづらい。視界も悪いし、地面はでこぼこしている。街道を歩くのと比べれば消耗は桁違いだ。
    しばらく進むうち、マカロンが見るからにしんどそうに呼吸を乱し始めた。
    「うう……ふう、はあ……」
    俺は見かねて先頭を行くライサを呼び止める。
    「ライサ。少し休憩にしないか」
    「ん……わかった」
    ライサは足を止めると、その場で荷物を下ろした。
    「ふたりはここで休んでいて。私は上から様子を見る」
    言うなり、するすると慣れた様子で手近な大木を登っていく。
    マカロンが疲れを忘れて歓声を上げた。
    「わ、きのぼり?すごい、はやい!もうあんなうえにいるよ」
    「お、おお……!すごい身体能力だな」
    まだあまり詳しい話もしてないが、何者なんだろう。冷静な判断力、アニマに関する知識、そしてソフィアですら舌を巻く剣の腕。ただ者ではなさそうだ。
    ライサの姿が梢に消えると、マカロンは不安げな表情を浮かべる。
    「ねえ。おやすみして、いいの?ソフィア、へいき?」
    「ああ、焦りは禁物だからな。いまここで無理したところで、かえってライサに負担をかけることになるかもしれない」
    「そうなの?」
    「いざというとき、走って逃げられるくらいの体力は温存しとく、とかな」
    この場合、理屈ではない。とにかくマカロンには休憩を取らせる必要がある。仮にマカロンが身動きできないような状態に陥れば、状況は困難を極める。俺だって体力があるほうじゃない。マカロンを抱えて移動するのは難しいだろう。誰かひとりに問題が発生すれば、たちまち共倒れだ。
    「そっか。ん、わかった。じゃあ、おやすみしとくね」
    マカロンはその場に座りこんだ。
    俺もその傍らに腰を下ろす。
    「ソフィア……こわくないかな。ひとりぼっちで、さびしくない?泣いちゃわない?」
    俺は思わず噴き出した。
    寂しいからと泣き出すソフィア。なかなか想像するのが難しい。
    「あのソフィアだぞ。そんな弱気になるわけないだろ」
    「そっか……うん!そうだよね!」
    まだ出会って数日のマカロンにも、ソフィアの図太……もとい、たくましさは伝わっているらしい。同時に、ずいぶん懐いている様子がうかがわれた。
    俺たちが体力の回復に努めていると、ライサが木から降りてくる。
    軽やかな着地を決めたライサをマカロンは見上げた。
    「あ、おかえり、ライサ。きのぼり、どうだった? 」
    「周辺の様子を探ってみたけど、ソフィアは……見つからなかった」
    「そっか……うん……」
    うつむくマカロンを励まそうと、俺は切り札を切る。
    「そうだ。マカロンはよくがんばってるな。おなかもすいただろ」
    パッと顔を上げ、しかし次の瞬間、マカロンはぶるぶると首を振った。
    「だってソフィアもきっとおなかすいてるもん。マカロンばっかり、おなかすいたって、いっちゃだめだよ」
    「いざというときのために体力を温存しろって言っただろ。ソフィアのためにも、ちゃんと食べておくんだ。……って言っても、簡単な携行食しかないんだけどな」
    俺は荷物から取り出した干し肉を一欠片、差し出す。
    行儀のいいことを言ったその舌の根も乾かぬうちだが、食べ物を目の前にしてマカロンが我慢などできるわけがない。
    「うん!ありがとう!」
    礼もそこそこに俺の手から干し肉を引ったくってかぶりついた。
    「はぐはぐはぐ!」
    無心に食欲を満たす姿が、いろいろ厳しい状況のなかでなんとも微笑ましく思える。
    「慌てて食べるとむせちまいますぜ」
    「すごい勢いで食べてる」
    「本当はお腹空いてたんだよ。マカロンは本来、もっと食べる子だからな……」
    「……ん。マカロンは、いい子だね」
    マカロンの食事風景を眺めて和む俺に、ライサが低く抑えた声で呼びかける。
    「……ねえ、ちょっといい?」
    マカロンの注意を引きたくないのだろうか。
    俺も低い声で聞き返した。
    「ん、なんだ。何か良くないことか?」
    「いいから、こっち」
    ライサは俺の手を引いて、マカロンから少し離れた茂みへ向かう。
    「さっき言ってた能力のこと」
    「ああ……俺の、力を分け与える能力のことか?」
    「そう。覚悟なら、できてる」
    言うが早いか、ライサは上着の前をはだけた。
    ささやかな膨らみに視線が引きつけられる。
    突然、目の前に展開された魅惑的な光景に、俺は興奮するより狼狽えた。
    「……って、おい、ちょっと待て!?なんでいきなり、服を脱ごうとしてるんだよ!」
    「静かに。マカロンが気づく」
    ライサは人差し指を唇に当てる。
    今まで意識していなかったが、薄く色づいた唇が、なにやら艶めかしい。
    俺は理性を総動員してライサの上着をかき合わせた。
    「それ以前の話で!脱がなくていいだろ!?」
    ライサは怪訝そうに首を傾げる。
    「……?身体に触れて力を与えるって、つまり、そういうことなのでは?」
    どうやらライサは俺の説明を、マカロンの手前オブラートに包んだものだったと解釈したようだ。それで、あの場での力の行使を見送ったのだろう。
    実を言えば、その解釈もまるっきり的外れと言うわけではない。
    接触が濃厚であればあるほど、分け与える力は強くなる。ライサが想像したようにコトに及べば、効率は最も高い。
    が、すぐそこにマカロンがいる状況で肉欲を解き放てるほど、俺の肝は太くない。まして、ハンペンが聞き耳を立てていることに疑いの余地もないのだ。助平な魔物にサービスしてやる趣味はない。
    「いや、その……と、とにかく、こうやって抱きしめるだけでも充分なはずだから」
    俺はライサの肩に手を回して引き寄せ、下品と思われないだろう程度に遠慮しつつ身体を寄り添わせた。
    あ、とライサが短く、しかし悩ましく吐息を漏らす。
    煩悩が一気に膨れあがった。
    マカロンとハンペンがいなければ、ライサの勘違いにつけこまずにいられた自信はない。
    ライサは俺の身体に手を回し、熱に浮かされたように呟く。
    「うん……力を、感じる……。身体の奥が熱くなるような……それに……」
    頼むから、そんなに色っぽい声を出さないでくれ。普段はもっと淡々としゃべってるじゃないか。もしかしてベッドの上では、あああ、いらんことを考えてしまう!
    「それに、これ……。この感じ……」
    ライサの足下がわずかにふらついた。
    おかげで身体が余計に密着する。
    俺は必死で冷静を装った。
    「……どうした、大丈夫か?」
    ライサは小さく首を振る。
    俺の鼻先を彼女の銀髪がくすぐった。
    「ううん。ありがとう。これでもっと戦える」
  • //2話END
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